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深まりゆく「演劇」と「教育」の関係

うれしいことに、「演劇と教育」に関心を寄せる大学生が、近頃増えてきたように思います。

たとえば、日本演劇教育連盟が毎夏開催する全国演劇教育研究集会や時々に開くセミナーや講座に参加される学生が、昨年あたりから目立って多くなってきました。

また、もう少し前からですが、卒論や大学院の研究論文に演劇教育に関することを採り上げるということで、お話やら相談やらに学生がよく来られるのです。「演劇的な授業のすすめ」「教育における演劇の効用」などのテーマでまとめられるようです。  

これまでも教育系の大学生が卒論のテーマにするということはありました。とくに、障害児教育志望の学生に多く見られました。劇あそびや身体表現に関心をもち、教員になったらそれを実際に活かそうという発想があるように見えました。

しかし一方では、演劇教育という言葉は「教育用語にはない」というような理由で指導教官に異議を挟まれ、方便として、国語科のなかの戯曲教材の読み方といったような採り上げ方をするという学生もいました。

最近の兆候は少し違っています。教育系だけでなく演劇・芸術系の学生の姿が見えるのです。教育学部の学生にしても障害児教育や国語科の中でということだけではありません。もっと広い多様な関心からのアプローチが感じられます。ほんの何年かの間のことですが、この変化にいささか驚いています。

この要因を考えてみましょう。いくつかの点が思い浮かびます。

まずなによりも、教育の課題として子どもたちの表現力やコミュニケーション能力の育成がいま切実に求められているということです。それが演劇への関心になっているのではないかと思います。

つぎに、大学に演劇を活かす学部・学科や講座が増えてきたということです。これは、表現やコミュニケーションの問題は、教育学部特有のテーマではなく、将来教員になる・ならないに関わらず今日のだれにでも(とりわけ大学生など青年に)必要なテーマと考えられているということでしょう。人間科学部、人間関係学部、人間学部、人間文化学部、コミュニケーション学科といった名称がたくさんの大学に見えます。そういう講座や授業で演劇に触れた学生が関心をもち始めるのではないかと思います。

そうして、そういう大学に演劇人が教員として招かれるようになってきたことも関係があるかと思います。前衛とかアングラとかと言われて演劇が反教育という図式で捉えられていた時代がうそのようです。なん人もの劇作家や演出家があちこちの大学で教えていますし、教育学部の教官になっている人もいます。

今、国際基督教大学の学生がつくるミュージカル劇団「虹」が、近々のタイ訪問公演をめざして意欲的な活動を行っています。2001年5月に学生が創り、幼稚園や老人福祉施設などを訪問して公演している劇団で、この11月〜12月にはタイを訪れ、バンコクやチェンマイの幼稚園や施設等で創作ミュージカルをやろうというのです。
http://niji-online.hp.infoseek.co.jp/参照)

中心になっている学生は国際関係論を学んでいるとのことですが、卒論は「演劇と国際協力」をテーマにして“演劇の教育の作用に焦点を当てたい”と言います。

また、つい先日は中学生が、「総合的な学習の時間」のテーマとして演劇について考えたいと言って来られました。3年生の彼女は、実際に演じる機会がほとんどないこともありますが、それよりも見ることに関心があって、コメディーや不条理劇をよく見るというのです。

そこで、演劇にはどんな意義があるのか、とくに見る者にどんな影響を与えるものなのか、また対象年齢は限られるのかなどという問題意識でした。劇が好きで演劇部、というのは一般的なことですが、このように見る側からの問題提起というのもおもしろいことです。

いずれにせよ、青少年期に演劇に興味をもち、テレビドラマやタレントのことだけでなく、舞台そのものが広く話題にされるような環境(社会・文化)が創られ、そして教育あるいは子どもたちの人間観・社会観の触発につながるとよいと思います。



(文・日本演劇教育連盟・市橋久生)2003/10/6