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演劇創世記 vol、2

演劇の歴史を振り返る上で、決してはずせないのが「ギリシャ悲劇」です。一般的に、演劇は宗教的な儀式から発展したものとされていますが、ギリシャ悲劇の場合は、宗教的なものにプラスして、国民の結束を固めるための政治的な意味合いも持っていたようです。

紀元前のギリシャでは、毎年3月から4月にかけて「大ディオニュシア祭」が行われ、ここで悲劇の上演が行われていました。ディオニュソス劇場では、約15,000〜20,000人を収容し、観客は家から食料やぶどう酒を持参して、何日間にもわたって悲劇を観劇するのです。

ディオニュソス劇場は、すり鉢状の野外劇場です。紀元前6世紀頃に建てられ、紀元前4世紀のローマ時代に改築されたものが今も残っています。野外に20,000人もの人が集まって、声は届くのかしら?と疑問に思うのですが、当時の建築技術は素晴らしかったんですね。

舞台はすり鉢の一番低いところにあり、それを囲むような扇形の客席は全て石でできています。そして、客席の最後尾には控え室がありました。客席と控え室が反射板の役割を果たし、役者の声が隅々に行き届くように設計されているのだそうです。


●悲劇の役割

悲劇には必ず英雄時代の王が登場し、作者はその口を借りて人間と人間社会について自由に議論し、分析し、批判をすることが出来ました。そういった悲劇を観るということは、政治や裁判に参加するのと同じくらいに重要な意味合いを持っていました。

俳優は全て男性でしたし、当時のギリシャが民主主義とは言え、政治に参加できるのは一部の上流階級の男性のみでした。

しかし、大ディオニュシア祭だけは、外国人や女性、子どもにも入場が許可されていました。また、入場料を支払えない奴隷階級にも国庫から入場料が支給されていたというのですから、驚きです。

悲劇を国全体で観劇し、当時の社会に対していろいろと討論する場を設けることで、国民の結束を固め、士気を高めていた訳です。そう考えると、この頃から演劇の持つ力の大きさを感じますね。

内容としては、「悲劇」というくらいですから、殺し、殺され、復讐が復讐を呼んでゆく…、という悲惨なものが多かったようです。ただし、「誰かが死んで悲しい」というメロドラマ的なものではなく、人間の残忍さを鋭く描いたものでした。

ギリシャ3大悲劇詩人の作品をそれぞれ見てゆくと、アイソキュロスは、「アガメムノン」で神々への信仰と道徳的理想を、ソフォクレスは「オイディプス王」などで人間の運命や生き方、真理を追究しました。そして、エウリピデスは、「メディア」で人間の偉大さと悲惨さを追及する、というように、かなり哲学的なテーマを持っていたようです。

しかし、ギリシャの市民の地位が低下してゆくと共に、この悲劇の上演も衰退してゆきました。発言することが難しい時代において、演劇という存在は恐れられるものだったのかもしれませんね。

次回は、後世の舞台芸術に影響を与えた、ギリシャ悲劇の様式をみてゆきます。どうぞお楽しみに!


(文・O)2004/7/19