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ニッポン演劇むかしばなし vol.3 〜伎楽〜

太古から日本で育まれてきた文化と、後に大陸から伝わってきた文化とが融合し、洗練され、現在の日本の伝統芸能は生まれました。今回は、その中の一つ、「伎楽(ぎがく)」について探ってみましょう。

●パッと咲き、パッと散った伎楽

伎楽は612年、推古天皇の時代に、百済からきた味摩之(みまし)という人物が帰化する際に、仏教と共に伝えたと言われています。

当時摂政の地位にあった聖徳太子は、深く仏教を信仰し、一緒に伝わった伎楽を「仏教儀式には不可欠なもの」として、楽人たちに習得させました。そして、仏教を分かりやすく説明し広めるために、多くは寺社の境内などで上演されていました。東大寺の大仏開眼(752年)の際には、大規模な伎楽が上演されたとも言われているそうです。

内容は、大きな仮面をつけて演じられる音楽を伴った無言劇で、沢山のキャラクターが列をなし、練り歩きながら滑稽な舞や寸劇を行うといったものでした。ここで、”大きな仮面で、滑稽な舞”という言葉に聞き覚えはありませんか?そうです。以前にお伝えしたタイの伝統仮面劇“コーン”にとても似ていますよね。

日本に伝わった伎楽のルーツは、古くはギリシャやインド地方、そして、この地方と交流が盛んだったチベット、中国、東南アジアを経て、それぞれの文化を吸収しながら日本に伝わってきたというわけです。

これだけの長い距離と、長い時間を経て伝来した伎楽ですが、残念ながら日本での最盛期は非常に短いものでした。少し遅れて伝来してきた雅楽などに押され、舞楽が伎楽に代わるものとして出現してきました。しかしその舞楽も、鎌倉時代に入り武士が実権を握るようになると、貴族的な「みやび」な性格のために衰退してしったのです。

●生活に残る伎楽

現在まで脈々と受け継がれてきた雅楽などに対し、非常に短命で終わってしまった伎楽ですが、現在でも伎楽がルーツになったものがいくつか残っています。その1つが、日本各地で行われている“獅子舞”です。

獅子舞には、本州中部から西の方に多く伝わる「伎楽系」と、関東・東北地方に多く伝わる「風流系」の2つがあります。風流系は、鹿踊(ししおどり)と呼ばれ、鹿(しし)の頭をかぶり、胸に太鼓をつけて1人で踊るものです。これは、古事記にも登場していて、日本古来の踊りのようです。

そして、伎楽系とは、その名の通り伎楽と共に伝来したもので、獅子の頭をつけた胴幕の中に2人以上の人が入って踊るものです。この獅子の頭はインド地方の信仰から、ライオンが神格化されたものだと言われています。

そしてもう一つ、伎楽をルーツにしたものがあります。それが、「二の舞を演じる」という言葉です。これは「他の人がした失敗を繰り返す」という意味ですが、伎楽の演目の中に「二之舞」というものが実際にあったのです。

伎楽の「安摩(あま)」という演目は、「安摩」と「二之舞」で1つの演目でした。「安摩」の舞人が舞を終えた後に「二之舞」の舞人が登場し、安摩の舞を真似ようとするのですが、上手く真似られずに観客の笑いを誘うというもので、それがそのまま一般的に使われるようになったのだそうです。

今では、二之舞は伝承されておらず、安摩しか残っていないとか…。ん〜、残念!

●伎楽の復興

伎楽に関する資料というのは、本当に少なく、正倉院や法隆寺に伎楽の仮面が残っている程度です。しかし、アジアでほぼ共通するこの仮面劇をなんとか復興させようと、狂言師の故野村万之丞さんはアジア各国を訪ね、仮面劇を研究し、伎楽面14種23面を復元させました。そして、マスクロードプロジェクト「真伎楽」と銘打って、2001年より様々な場所で公演を重ねられました。

万之丞さんは、昨年6月、癌のために44歳という若さでこの世を旅立たれましたが、彼の意志が受け継がれ、さらなる伎楽の復興が行われることを、心より願います。


参考文献:「日本演劇史」 浦山政雄 前田慎一 石川潤二郎 著

参考サイト:マスクロード・プロジェクト
       http://www.tmdnet.tv/maskroad/mask.htm
       能面の歴史
       http://www.nohmask21.com/rekishi.html
       日本文化いろは事典
       http://iroha-japan.net/iroha/C04_vaudeville/02_gigaku.html


(文・O)2005/4/18