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ニッポン演劇むかしばなし vol.6 〜産声を上げた能〜

奈良時代に大陸から伝わってきた散楽が、平安時代には「猿楽の能」「田楽の能」の2つに枝分かれし、芸能の世界を熱くしてゆきました。そして、その2つがもう一度融合し、日本の代表的な伝統芸能である「能」へと進化してゆきます。

今回は、どのようにして能が生まれたのか、その道のりを探ってみましょう。

●流れを変えた観阿弥、世阿弥親子

物まねを軸とした猿楽の能は、平安の都・京都から離れた地方では大変人気がありました。特に、奈良で活躍していた大和猿楽(やまとさるがく)、滋賀で活躍していた近江猿楽(おうみさるがく)が代表的な存在で、その他にも多くの地域で猿楽の能は演じられていたようです。

しかし、京都の貴族社会では、優雅で柔和典麗な幽玄(ゆうげん)を目標とした田楽の能が大変愛好され、猿楽の能は芸能の2番手のような存在でしかありませんでした。そこで、猿楽の能楽師たちは、「京都に行って田楽の能に勝ちたい!」と切磋琢磨してゆきます。そうして登場してきたのが、能の祖とも言える観阿弥、世阿弥親子です。

彼らが大成し現代に受け継がれてきた能を観ると、どうしても田楽の能の出身のように思いがちですが、実は猿楽の能の出身だったんです。ちょっと驚きですよね。

さて、彼らは数ある猿楽座の中でも有力な春日興福寺に勤仕する大和猿楽で活躍していました。そこでは、結崎(ゆいざき)・円満井(えんまい)・外山(とやま)・坂戸(さかと)の4座が中心で、観阿弥、世阿弥親子は結崎座に所属していました。

何とか田楽の能に勝ち、都で一花咲かせたいと願う彼らは、今まで続いていた猿楽の能に一大改革を起こします。それまで田楽の能の特徴であった幽玄を猿楽の能に取り入れ、田楽の優れた歌舞やリズムを吸収し、さらには芝居の構成自体を大きく変えていったのです。

能は、「現在能」と「夢幻能」の2つに大きく分かれます。現在能は、言葉通り現在の出来事を現在進行形で語ってゆきます。それに対して夢幻能は、過去の出来事を回想することによって主人公の内面が揺り動かされ、そこから生まれる心の動きそのものを劇として表すというものです。これは、能の大きな特徴であり、他の演劇にはない構成なのだそうです。

世阿弥はこの夢幻能の様式を生み出し、芸を高めて、いざ京都公演を敢行しました。すると、それを観た当時の将軍足利義満が高く評価し、猿楽の能が都の芸として庇護されることとなりました。そして、世阿弥はさらにこの芸能を完成させ、その理論書として書いたのが、今も受け継がれている「風姿花伝」というわけです。

受け継いできた様式を守ることも大切ですが、新しいものを求め、常に何かを吸収しクリエイトし続けることは、いつの時代でも大切なことなんですね。ここ数年、観客動員数が低迷し続ける現代演劇にも、やはり同じことが言えるのではないでしょうか。彼らの努力と心意気が、ぐっと心に突き刺さる思いです。

ちなみに、「能楽」はユネスコにより世界無形文化遺産第1号に指定されているんだそうです!「何だか難しそう…」と距離を置いている方も多いはず。でも、日本が誇る文化芸術を、私たち日本人が知らないというのはとっても悲しいことです。最近ではイヤホンガイドなど、初心者にも分かりやすく鑑賞できるような工夫がなされています。

暑い夏、能の優雅な世界で涼んでみるのも粋な過ごし方だと思いませんか?


(文・O)2005/7/18