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大陸演劇誕生記 〜長い長い準備期間〜

中国の伝統芸能といって思い出すのが、鮮やかなメイクをし、きらびやかな衣装を身にまとった「京劇」ですよね。しかし、多くの民族が行き来し、無数の国が生まれては消えていった中国大陸。「京劇」が生まれるまでには、長い長い歴史があります。

今回から数回に分けて、中国大陸の演劇の歴史をたどってゆきましょう。

●大器晩成の中国演劇?!

中国の歴史の始まりは、まだまだ謎に包まれている部分が多いようです。十数年前の教科書では「伝説の国」と言われていた殷王朝(正式名称:商)も、今世紀に入りその存在が現実のものだったことが確かめられ、それ以前の夏王朝の存在も確認されました。今では、紀元前2700年頃に始まった「三皇五帝」の時代が伝説の時代と言われているようです。

あれだけの広大な土地で、これだけの長い時間をかけて培われてきた中国の文化は、まさに圧巻!と思いきや、意外と中国での演劇の発祥は遅く、紀元後10世紀の宋の時代まで待たなければいけません。

各地の演劇の発祥の歴史を振り返ってみると、権力に対する大衆の声であったり、宗教行事への民衆の参加など、大衆が自分たちより上の存在(権力者・神)に直接的に何かを訴えようというエネルギーから演劇が生み出されています。

しかし、夏王朝(A.D.2000〜A.D.1600年)時代に始まった血族による皇帝制度、殷王朝(A.D.1600〜A.D.1050年)での神権政治などから、宗教を中心に統治する時代が長く続き、社祭などの呪術的な要素を強く持った儀礼が維持されていたため、演劇が生まれにくかったのかもしれません。

そんな中でも、演劇の芽は確かに育っていたようです。一つが文学、もう一つが「儺(おにやらい)」という仮面劇の源流です。

●中国演劇の芽

中国で初めて演劇的要素をもった文学として出てきたのが、最古の詩集「詩経」です。西周から春秋時代に作られたと言われており、「風(民間の風俗から生まれた民謡)」「雅(貴族や王室の宴や儀礼などで歌われたもの)」「頌(国家の秘儀)」の3部に分かれています。そして、その中の「巫(みこ)と尸(しかばね)の対話」という形式が、後の俳優同士の台詞のやり取りへと変わってゆきました。

また、戦国時代の末に楚の国で作られた独特の韻文をもつ作品を集めた「楚辞」も演劇的要素が強かったようです。この作品は詩経とは異なり、空想的で、激しい感情を荘重華麗なことばでつづっています。

その他に、南北朝時代の北朝で書かれた長編叙事詩「木蘭辞」も有名です。農村の少女が自分の年老いた父の代わりに出兵し、10年以上もの長い年月、各地を転戦してゆくというお話で、後に伝統演劇で演劇化された作品です。演劇がまだ生まれていないこの時代には、「演劇」という形をとらず「文学」と言う形で、ドラマは各地に広まっていたようです。

それともう一つ、「儺(おにやらい)」も演劇がまだ生まれていない殷王朝の時代から行われていました。もともと、厄を払う儀式の中で踊られていた仮面舞踊で、悪魔を追い払う時に人々が「儺儺(ノウノウ)」と掛け声を発したことから、「儺」「儺儀」「儺祭」と呼ばれるようになったのだそうです。

これが周の時代には1000人を超える人々が集まる、大規模なお祭りに発展してゆきました。そして、演劇的な要素や娯楽的な要素が強まり、木製の仮面をつけて演じる中国最古の仮面劇「儺戯(ノウシイ)」になったのだそうです。

このように、長い時代演劇が存在しない中国大陸ですが、演劇の芽は確かに育ち、徐々に花開くことになります。次回は、演劇の準備期間ともなる唐の時代を探ってゆきます。どうぞお楽しみに!


参考文献
中国情報局:http://searchina.ne.jp/guide/
京劇城:http://home.hiroshima-u.ac.jp/cato/KGJ.html


(文・O)2005/8/15