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大陸演劇誕生記 〜演劇の芽生え〜

中国大陸は、長い長い戦乱の時期を過ごし、演劇の芽が開くまではかなりの時間を要しました。そして、紀元後618年に始まった「唐」の時代に、ついに演劇の芽が見え始めます。

●演劇の土壌を育んだ唐

唐(618年〜907年)は初代皇帝の李淵(りえん)が統一し、2代目の皇帝太宗の時代には「貞観の治」と呼ばれる太平の時期に入ります。太宗の死後、悪名高き則天武后が一時期国を征服しましたが、彼女の悪政は長くは続かず、李氏の一族によって再度唐に統一されました。そして、6代目玄宗の「開元の治」まで約300年もの間、皇帝を頂点とした中央集権国家のもと、シルクロードを通じて西域の音楽が輸入されるなど、異国情緒の漂う貴族趣味の優雅な時代が続きます。

民衆の間でも様々な文化が花開きました。詩歌がもっとも盛んで、8世紀半ばには“詩仏”と呼ばれる王維、“詩仙”の李白、「春望」で有名な“詩聖”の杜甫たちの下、「律詩」「絶句」などの形の整った詩が完成されました。

絵画も盛んで、王維の風景画や呉道玄の人物画などが愛されていました。文学では、「長恨歌」で知られる白居易や、伝奇恋愛小説「鶯々伝」で知られる元慎が登場し、現実逃避的な恋愛を多く描いていたようです。

また、農村では「社」の組織が宗教色を失い、祭祀儀礼の芸能化が進み始めました。こうした社会情勢が、演劇が生まれる土壌を育んでいったのです。

●芽生え始めた演劇

唐の時代に生まれた演劇の芽として知られているのが、ことば遊びの芸「参軍戯」と、物語を伴う舞楽「大面(蘭陵王)」です。

「参軍戯」についての資料は断片的にしか残っておらず、名称の由来や実態は必ずしも明確ではないようですが、元々は男優の科白戯だったものの、歌舞を伴って女優が演じることもあったそうです。

内容としては滑稽なものが多く、いわゆる「ボケ」と「ツッコミ」による即興的なコントのようなもので、社会的な皮肉の込められたものだったようです。これが、後の宋雑劇に影響を残していると言われています。

「大面(蘭陵王)」は、実在の人物をモデルに描いた作品だそうです。北斉の蘭陵王長恭は実に勇ましく優秀な武将でしたが、少女のような美男子だったため敵から恐れられないことに悩んでいました。そこで、恐ろしい鬼のような仮面をつけて戦陣に臨み、数々の功績を挙げた、というものです。この作品は、遣唐使によって日本に伝えられ、現在も雅楽の演目として残っています。

これらは、初め宮中で演じられていましたが、徐々に庶民の間にも広まっていったようです。


こうして中国にも演劇がちらほらと見え始めたのですが、この時代に世界三大美女として有名な楊貴妃が登場します。「開元の治」と言われた最盛期を築き上げた玄宗皇帝は、彼女に魅了され、政治どころではなくなってしまいました。そして、楊貴妃一族に反感を持った勢力が反乱を起こし、唐の華やかな貴族文化にピリオドを打つことになるのです。

この後、五代十国(907年〜979年)という、各地で暴君が君臨する時代へと突入します。唐の時代に活躍していた芸術家たちは、四方を山に守られた四川に隠れて生活していたようです。そして、この時期はさすがに芸術ははやらず、次の宋の時代まで待たなければいけなくなってしまうのです。

いつの時代も、戦争の犠牲となるのは、庶民と芸術なんですね…。
ちなみに、現在の省区分はこの時代にさかのぼるんだそうですよ。


参考文献
中国情報局:http://searchina.ne.jp/guide/
中国まるごと百科事典:http://www.allchinainfo.com/culture/xiju/
中国民衆文学史:http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/020607.html


(文・O)2005/9/19