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大陸演劇誕生記 〜産声を上げた中国の演劇〜
唐の時代に、やっと演劇の芽が見え始めたのも束の間、長い戦乱の時期がまた訪れてしまいました。しかし961年、趙匡胤によって再び国が統一され、ついに演劇の芽が開花することになります。それが、宋の時代(北宋・961〜1127/南宋・1127〜1279)です。 ●宋の時代の文化 「芸術家を殺すには、贅沢を与えればいい」と言われますが、しっかりとした擁護がないと生きてゆけないのも芸術家です。宋の時代は、芸術や学問への造詣が深い皇帝がたくさん現われ、芸術も技術も大変高い水準へと発展してゆきました。 特に、第4代皇帝・仁宋は、自分自身も学者で、実用的な実験にたくさんのお金をつぎ込んだと言われています。その成果として、羅針盤とそろばんが発明され、世界最古の天文時計台も建てられました。また、水滸伝の舞台になった時代でもあるそうです。 こうした技術の発展により、庶民の生活水準も向上し、街には娯楽が溢れていました。店先には、子供用のおもちゃが並び、人の集まるところには講談などの見世物が流行しました。瓦子(がし)と呼ばれる盛り場のようなものも誕生し、酒場や劇場、商店が立ち並んだ娯楽の場として発展していったのです。 ●宋の時代の演劇 唐の時代に生まれた、ボケとツッコミを中心に繰り広げられた言葉遊びの芸「参軍戯」の流れを汲んだ「宋雑劇」が、宮廷だけでなく都市の瓦子でも上演され、大変な人気をよんでいました。内容は、簡単な筋書きの狂言のようなもので、歌に踊りにととても賑やかだったようです。 この宋雑劇は、女真族に追われて首都を開封から杭州に移した南宋の時代にも続きました。また、南宋の北で勢力を誇った金朝でも、「院本」と改称されはしましたが、長く上演されていたようです。しかし、これらの台本は戦火で焼けてしまったのでしょうか。今日に伝わるものがないそうです。残念ですよね。 これ以外にも、諸宮調という“うたいもの”が流行しました。内容は、恋愛物の“小説”と軍記物の“講史”に分けられ、種本の“話本”をもとに、観客の求めや場の雰囲気に応じながら、臨機応変に語って場を盛り上げたそうです。日本の落語をちょっと連想してしまいますよね。 南宋の時代にはさらに発展し、小説、講史に加えて“説鉄騎”(軍記物)、“説経”(仏教物)も登場しました。そして、三国志演義の原型となる「説三分」や西遊記の原型となる「大唐三蔵取経詩話」などが次々と登場し、大変な人気を博しました。 このように、国の安定と科学技術や芸術文化への深い理解の中で、中国大陸の演劇の基盤が確実に整ってゆきました。しかし、300年余り続いたこの時代も、チンギス・ハン率いるモンゴル軍の侵略により終わりを告げることになります。 となると、やはり演劇の芽は途絶えてしまうのか…、と思いきや、意外にもこのモンゴル民族の支配が、中国演劇を発展させる大きなきっかけとなるのです。このお話は、また次回に…。 参考文献 中国情報局:http://searchina.ne.jp/guide/ 中国まるごと百科事典:http://www.allchinainfo.com/culture/xiju/ 中国民衆文学史:http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/020607.html |
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(文・O)2005/10/17
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