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大陸演劇誕生記 〜中国演劇が成熟した裏側〜
宋の時代の約300年間をかけて、ゆっくりと演劇が育つ土壌を整えた中国ですが、チンギス・ハン率いるモンゴル帝国により、中国全土を征服されてしまいました。 モンゴル軍は、それまで行われていた「科挙」という官吏登用試験制度を廃止し、中国にいた優秀な知識人を弾圧。漢民族を差別する、とても厳しい政治を始めたのです。それが元の時代(1127〜1279年)です。 ●知識人の活路としての演劇 知識人たちは、政治へ参加することが出来ず職を失ってしまいましたが、市民の貨幣経済は滞ることなく発展してゆきました。そのため、都市民衆の娯楽への消費も伸び続け、さらなる娯楽が求められるようになってゆきます。 そこで、知識人たちが見出した職が、「脚本家」です。 当時の中国の演劇は「元曲」が中心でした。歌と台詞を中心に物語が進んでゆくもので、昔から語り継がれた「語り物」「うたい物」を集大成した演劇です。元曲には厳しい3つのルールがあります。 1)一つの劇は4折(幕・場)より成る。 2)各幕は違うメロディーで同一の韻をふむ十数曲が配置されている。 3)曲を歌うのは全幕を通して主役一人だけに限る。 上演会場は、盛り場の「勾欄(こうらん)」という芝居小屋や、農村の祭礼や仏廟で、能舞台のように幕や装置などは一切使用していませんでした。 このルールの中で、人々に感動と笑いと涙を提供するのは、なかなか至難の業だったでしょうね。しかし、中国の歴史の中でもトップの難しさを誇る科挙を通過してきた知識人たちにとっては、お手の物だったのかもしれません。たくさんの傑作が生まれ、演劇が庶民の一番の娯楽へとなってゆきました。 語り物と違って、視覚的にも楽しめる分野でしたし、モンゴル民族が音楽を好んだというのも、発展の理由だったようです。 ●いつの時代も恋愛とヒーローが人気 元の時代には沢山の作品が生まれました。特に人気のあったのが、純愛を描いた恋愛物と、豪傑が活躍するヒーローものです。 代表的な作品としては、知識人出身の脚本家・王実甫が描いた「西廂記」です。昔から語られていた2つの作品を基にして書かれたもので、山西省の山寺を舞台に、遊学書生と宰相の娘との純愛を美しく描き出しました。ヒーローものでは、三国志の英雄関羽を主人公にした「単刀会」や、語り物として「三国志平話」などが人気でした。 武勇に優れつつ、愛嬌もたっぷりの人物を主人公にし、荒唐無稽で奇想天外なストーリーが展開してゆくのが特徴で、妖怪や怪物が出てきたり、魔術を使ったり、空を飛んだりと、とっても想像力豊かな作風になっています。 今、映像で表現しようとすると、2002年に公開された中国の映画「英雄-HERO-」のような感じになるのでしょうか。やはり広大な中国大陸で育つ作品だけに、想像力のスケールも桁外れな大きさを感じますね。 こうして、職を失った知識人たちが自分たちの情熱を唯一注げる場として演劇を選んだことによって、さまざまな傑作が生まれ、モンゴル民族の強い弾圧の中でも消えることなく、中国の演劇文化は発展し、ある意味1つの成熟期を迎えました。 この後、モンゴル民族を追放し、社会が変わることで、演劇もまた転換の時期を迎えることになります。それはまた、次回のお話…。 参考文献 中国情報局:http://searchina.ne.jp/guide/ 中国まるごと百科事典:http://www.allchinainfo.com/culture/xiju/ 中国民衆文学史:http://kyoto.cool.ne.jp/rekiken/data/2002/020607.html |
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(文・O)2005/11/21
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