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ニッポンの演劇の過去・未来 〜歌舞伎からの卒業
今まで、いくつかの主要都市の演劇の創世記を見てきました。どこの土地も、やはり始まりは神に捧げる儀式から生まれ、それが大衆へと広がってゆくにしたがって、どんどんと変化を遂げてゆきました。娯楽性を強めたもの、宗教性を強く帯びたものなどその特色はさまざまですが、いずれも、何かを伝えるために存在していたことには変わりありません。 そして、いろいろな遍歴を重ねながら成長していった世界各国の現代の演劇をみると、どことなくその国独特のカラーがあります。アメリカといえばブロードウェイ・ミュージカル、イギリスはナショナル・シアターやロイヤル・シェイクスピア・カンパーなどの良質で上品なお芝居、ロシアはちょっと悲劇的、フランスはカラフルなどなど…。しかし、日本のお芝居のカラーは?と聞かれると、答えに戸惑いませんか? 世界的に言えば、能・狂言・歌舞伎といった伝統文化が有名ですが、海外から来たお客様に、「これが現代日本の演劇です!」と言って招待する舞台となると、かなり選定に苦労することでしょう。 そこで、再び日本に目線を戻して、現代の演劇に至るまでの歴史を見ながら、これからの日本の演劇の未来を予測してゆきたいと思います。 ●歌舞伎からの卒業 1603年、出雲の阿国に始まった歌舞伎は、その後日本の演劇の中心となりました。そして徐々に、歌舞伎にもいろいろな形が生まれ、江戸、大阪、京都にあったいくつかの劇場で上演され、国に保護されていた「大芝居」、地方の寺社仏閣などの小さな小屋で上演されていた「小芝居」、地方を巡回する「旅芝居」の3つに分かれてゆきます。 初めは、レベル的に大差がなかった「大芝居」と「小芝居」ですが、本流と亜流という認知のされ方の違いから、レベル的にも人気的にも大きく分離してゆくことになりました。そして、明治期に入って、地方で名をはせていた役者や旅芝居の役者、大芝居で実力を発揮できなかった役者が離合集散を繰り返しながら、自分たちの地位を確立し、大衆演劇へと姿を変えていったようです。 またこの頃、新派劇というものも登場し始めました。新派劇とは、歌舞伎を「旧派」と呼ぶことに対抗して出来た名前です。とは言っても、それほど歌舞伎と表現方法が変わったわけではなかったようです。 新派劇の始まりは、自由民権運動でした。演劇には啓蒙するための力があるとみた運動家たちが始めたのです。そのため、俳優たちはプロではなく、新聞記者やそれに近い職業の人々が多かったようです。彼らには強い主張があり、それゆえに社会的な大きな反発がありました。また、表現方法が似通っていたからなのか、旧派の歌舞伎との争いも絶えなかったようです。 しかし、300年近く歌舞伎から動きがなかった日本の演劇史に大きな波を立てる始まりとなったのです。次回から、その大波を見て行きましょう。 参考URL 綺堂事物:http://hansichi.hp.infoseek.co.jp/contents/shosei.html かぶきのおはなし:http://www2.rosenet.ne.jp/~spa/kabuki/html/his/his.html |
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(文・O)2006/2/20
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