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ニッポンの演劇の過去・未来 〜新劇の登場

300年近く、歌舞伎を中心に行われてきた日本の演劇界に新しい風を吹き込んだ「新派劇」は、始まりは自由民権運動でした。自由党の壮士や新聞記者、書生などの俳優ではない人たちが、演劇には啓蒙する力があると見て取り組み始めたのです。「日本改良演劇」「男女合同改良演劇」などのスローガンの下、民権運動の講談から、当時の事件を作品にしたもの、また日露戦争が始まってからは戦争劇なども上演されていたようです。

オッペケペー節で一世を風靡した川上音二郎さんも新派劇を立ち上げた1人で、東京の神田に川上座を設立しました。当時の歌舞伎界の大俳優が次々に亡くなってゆく中で、時代は歌舞伎から新派劇へと大きく流れてゆきました。

しかし、川上さんの死後、歌舞伎とは表現方法がほとんど変わらなかった新派劇は行き詰まりを見せ始め、当時始まった新劇運動に押されながら、徐々に客足が遠のいていってしまったようです。

●新劇の台頭

現代のようにテレビや映画などがなかった時代には、娯楽は芝居か遊郭しかなく、「二大悪所」と呼ばれていました。そのせいか、演劇をやっている人たちの立場は低く、社会的にもさげすむ風潮があったようです。そんな風土の中に西洋の演劇を持ち込み、観客の啓蒙と、西洋の近代思想の紹介を目的として始まったのが「新劇運動」です。

その為、新劇は歌舞伎や新派劇のような商業主義を否定し、非営利でインテリな人間たちが無知な人々を教え導くというようなものになっていました。上演する作品は、海外の翻訳物から始まり、芸術志向的な演劇を目指していました。それが、スタニスラフスキー・システムによるリアリズム演劇を絶対視するようになり、それ以外の演劇は間違っているというような、ちょっと極端な発想が中心になってゆきました。

また、左翼的な理想や目的を実現しようとする社会思想の影響も強かったようで、第2次世界大戦が近づくにつれて国からの弾圧が厳しくなり、多くの新劇関係者が逮捕されるという事態にも発展してゆきました。

勿論、現代の新劇の舞台にはそのような政治的な思想はありませんが、この新しい演劇の登場により、日本の舞台自体は大きく変わってゆきました。この続きは、また次回ご紹介いたしましょう。


(文・O)2006/3/20