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劇で平和の“玉結び”をつくる〜宮城淳さん〜

沖縄本島・宜野湾市の米軍ヘリコプター墜落事件のことは、被害を受けた地元の人たちや我が事として心を痛める沖縄県民の心情を置き去りにしたまま、全国的な大きなメディアからはすっかり忘れ去られています。次から次へと起きる毎日のできごとのひとつとしてニュースにはなりますが、ほどなく通り過ぎていきます。

その沖縄で、戦争のことは50年経とうが 100年経とうがけっして忘れてはならない、いつまでもいつまでも心に刻み、語り継ぎ、どこまでも平和を求め続けようという教育を、演劇をとおして実践している人たちがいます。

宮城淳(みやぎ・じゅん)さんはその中心的な一人です。勤務する小学校で毎年、自作の脚本で子どもたちの劇上演を指導し、沖縄戦をひもとき、ひいては現在の世界に目を向け、平和のことを考えよう、戦下の人々に想いをやろうという実践を行っています。

加えて1996年、6月23日の「慰霊の日」にあわせて「基地を劇で取り囲もう!」と、どこの学校でも劇をやることを宮城さんは呼びかけました。これに呼応して8校が上演、それから毎年いくつもの小学校で、この日の前後に行われています。

1985年の『ガマの中で』以来、脚本創作を続け、それらは子どもたちによって上演されているだけでなく、職員を巻き込んで全校で上演された作品もあります。また、学童疎開の悲劇を疑似体験する『対馬丸』のような、体育館全体を船に見立てた舞台など、さまざまな作品があります。

そもそもは、かつて、元・ひめゆり学徒の宮城喜久子さんと同じ学年を担当したときに、沖縄戦をテーマに学芸会で劇をやったことから始まります。

子どもたちの演技はそれほど満足できるものではなかったにもかかわらず、客席で涙を流しているおじいさんやおばあさんの姿を目のあたりにして、子どもたちは何かを感じ、宮城さんは劇の意義を考えることができたと言います。劇は観る人たちと演じる者が一緒になってつくるもの。お年寄りたちの体験は演劇によって世代を超え、伝えることができるのだ、と……。「そういう形の伝承があるのだ」と……。

しかし、そういう劇をやったからといって、戦争や平和についての子どもたちの考えが明日から変わるというものではないということも承知されています。宮城さんは、平和教育は、縫いものをするときにつくる糸の玉結びのようなものだと言います。子どもたちが将来、戦争の気分に流されそうになったとき、「ちょっと引っかかって、おや待てよと思ってくれればいい」と言います。

最近は若い教職員と朗読劇を創ることにも力を入れています。昨年は『あきらめない……』(渡辺えり子)を、今年は『日本は、本当に平和憲法を捨てるのですか?』(ダグラス・ラミス)や『あたらしい憲法のはなし』などを構成して、舞台を創りました。

アラゴンの詩のように「教えるとはともに未来を語ること」だとするならば、世界に視野を広げ、現実に起きていることに目を向けながら、自分たちの将来・未来を考えようということは教育のあるべき姿と言えるでしょう。平和も教育もなにやら雲行き怪しい今、宮城さんの「平和教育=玉結び」論には、しなやかな精神と強い意志が感じられます。


宮城淳さんのホーム・ページ
http://www.geocities.jp/ryrdf746/


(文・日本演劇教育連盟・市橋久生)2004/10/4