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演劇は人生と民主主義の学校〜植原俊子さん〜

群馬県高崎市。10年続く「ドラマスクール」で子どもたちを指導する植原俊子(うえはら・としこ)さんの人生も、相当にドラマティックです。

中学・高校生の頃はバレーボール部の選手だった植原さんは、法学部に進んだ大学で演劇部に入り、そこで「民主主義」に気づかされたと言います。先輩の意見や指示をただ待っているのではなく、自分の考えはどうなの?自分はどうするの?と促され、それは、人が対等な関係に在るとはどういうことかを考える初めての体験でした。さらに、演劇がもつ力−現状を打破し、人間の生き方や未来の社会を模索する可能性に魅せられたのです。

卒業後、演劇とは離れます。OL生活で出勤拒否の気分を味わうなどの「挫折」を体験しながら、やがて結婚。わが子が4歳のとき、知り合いに言われるままに地域の「子ども劇場」に入会、演劇が戻ってきました。

いつしかそこでは、子どもたちは劇を観るだけではなく自分たちもやってみようということになり、植原さんはその指導者になります。その指導は、いかに見栄えのいい舞台をつくるかに頭が働きます。

そんなある年の上演、ふだん声がほとんど出てない一人の女の子が、よりによって「主役級の役」をやりたいと親に告げたというのです。不向きの旨を遠回しに言いながらも、結局、その子が見事にやりとげるのですが、子どもにとって劇をやることにはどんな意義があるのか、このとき気づいたのです。

誰のための演劇活動かを考えます。いかに見せるかということよりも、その子にとっての意義を、より深く考えるようになります。

同じ頃、おとなになったわが子の一言も植原さんの胸をうちます。外でのいろんな活動をするために、家のこともそつなくこなしていたつもりだったのに、「形をつくっていただけだったのだろうか、子どもをきちんと見ていなかったのではないか?」と、また挫折感を味わいます。

そんなこんなが大きな転機でした。それからの「ドラマスクール」では、一人ひとりの子どもに目を向ける気持ちの余裕が生まれてきたかもしれません。「人前で歌えるようになった」「恥ずかしくなくなった」という子どもたちの声を聞いたり、ことばに障碍をもつ子の親が、同じ立場の親たちに演劇の効き目を話していることを聞いたりすると、続けてきてよかったなと思います。

そして今年も、春休み中の上演に向けて、お正月早々、稽古に熱がこもっています。演技をときどき止めて、子どものアイデアに耳を傾け一緒に考えたり、自ら舞台に上がりお休みの子の代役を演じたりしています。その光景がとても自然です。

家庭生活では、106歳になられるおばあさんや高齢の親御さんの介護も含め、主婦として働きながら、小学校のカウンセラーとして子どもの心を想いやったり、公民館の「家庭教育学級」の講師として母親たちと向き合ったりしています。

植原さんは今、子どもたちのありのままを受け容れるということに留まっていないで、どう生きようとしていくのか、おとながもっと積極的に指標を示すべきではないかと考えています。どう生きるべきか、子どもも親も一緒に考えようというのです。

子ども社会にリーダーがいなくなった、子ども同士のコミュニケーションをつくるのが難しくなったように見える植原さんにとっても、「ドラマスクール」の意義はますます大きくなっているようです。


(文・日本演劇教育連盟・市橋久生)2005/1/10