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高校球児、いま市民が和む文化会館館長さん〜関繁雄さん

2002年にオープンした埼玉県の「富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ」の館長・関繁雄(せき・しげお)さんは、かつて甲子園をめざす野球少年でした。関さんの代はもう一歩のところで出場を逃してしまいましたが、2年後の母校は晴れて甲子園出場を果たしています。

さて、建築科で学んだ関さんは、卒業後地元の町役場に入り、その後市制に移行した富士見市職員として、建築畑一筋に30年間を生きてきました。生まれ育ったわが町で、休日には少年野球の指導をするなど、野球と郷土愛で充実した毎日を過ごしていました。

そんな日々が一変したのは、市民文化会館の建設が計画されてからです。東京・池袋から電車でわずか30分余り、それまで、人口急増のベッドタウン・富士見市では学校建設が大きな仕事になっていましたが、10万人を超えてひとまず落ち着いた市の都市計画は、次に文化会館建設が現実の課題になったのです。

それは市民の夢でもありました。が、バブルが弾けて財政状態はけっして良くはありません。そんな中ですから、会館は絶対に、市民に認知してもらう、市民に愛されるものでなければならないと強く思ったのです。関さんの口から「市民」という言葉が頻繁に出てくるのが印象的です。

それからは、市内の公民館をまわり、市民の声を聴き、また理解を求めました。建設検討委員会、運営検討委員会、開館記念事業実行委員会、と開館までの過程で市民の意見を真摯に受けとめ、反映させた文化会館は、「学習と交流の場に」と願い、展示会議室も作られました。そこは、市民の創造・創作と表現の場として毎日さまざまに利用されています。

また、演劇には関心も知識もまったくなかったという関さんですが、それからはこまつ座や二兎社などの舞台を観に、積極的に出かけます。野球に明け暮れた少年時代とは言っても、地域に親しみ、地元の「城下組囃子」で太鼓や踊りを自ら楽しんでいましたから、芸術表現に関わる素地はあったにちがいありません。

それが一気に花ひらくきっかけは、演出家・平田オリザさんとの出会いでした。会館建設の過程でたまたま紹介された平田さんに、感じるところ、この人となら何かができる!というものがあったのです。

公共ホールの理念や使命を学び、子どもと老人が親しみやすくという考えにも共感を覚え、共鳴した関さんは、富士見市とは縁もゆかりもない平田さんを芸術監督に迎えるのです。関さんの情熱とフェアプレーの精神の賜物かもしれません。

平田さんを芸術監督とし、「私は現場監督」と自称する関さんが今、市内の商店と協力して、楽しみながら進めている施策があります。文化会館の催しの宣伝をしてもらうのです。

すでに83店舗に快諾を得、店頭にポスターが貼られています。そしてできたら、入場券の「半券」でそのお店のサービスを受けられるようにしようというものです。近いうちに実現するかもしれません。

「館長、良かったよ!」と言ってもらえるのが最高の気分という関さん。「キラリスト」と名付けられた市民ボランティアのみなさんと一緒に、今日も和やかにお客さんを迎えています。


(文・日本演劇教育連盟・市橋久生)2005/8/1