under


 
 
公立高校に本格的な劇場を作った校長〜伊藤隆弘さん〜

舞台の間口18m、奥行10m、客席数1400を擁する本格的な劇場が、広島市立舟入高校にあります。校長を務められた伊藤隆弘(いとう・たかひろ)さんが在職中の1999年に建てられました。

照明・音響設備も整えられ、電動で天板が設えられると音楽ホールにも変わります。奈落は通路にもなりますが、大道具や楽器を保管する場にもなっています。

学校のシンボル・アカシヤの木に因んで「あかしやホール」と名付けられた劇場は、地域に開放されて市民にも利用されています。生徒の入・退場口とは別に、市民が外から出入りできるよう作られています。一般の劇団が公演できる劇場なのです。

2年間の中学教員を経て、1963年、広島市立舟入高校に国語科教諭として着任した伊藤さんは、校長を務めて1999年度を限りに退職されるまで、同校に勤務されました。そして、演劇部顧問として全国に知られる「舟入の劇」を創り続けてきました。一貫してヒロシマとは何かを考え続け、ヒロシマの心を伝える創作劇です。

高校演劇全国大会で最優秀賞に輝いた『とうさんのチンチン電車』(1987年)や優秀賞に選ばれた『明日に舞う』74年、『虎杖忌』77年、夜空を駈けろ!チンチン電車』82年、『おさん幻想』83年、等々40本に及ぶ伊藤作品がありますが、今夏もまた『女生徒(おとめら)の碑』が、舟入高校演劇部OBによる「劇団F」によって公演されています。

伊藤さんの「舟入の劇」は挫折からの出発でした。意気揚揚と出演した初めての全国大会(1969年/札幌)でしたが、他の高校のほとんどは創作劇。カルチャーショックを受けたと言います。それではと、一念発起して次の中・四国大会で上演した初めての創作劇 『白いキャンバス』に、こんどは審査員の中村俊一さん(劇団仲間代表)から、手厳しい一言が放たれます。

「病魔の恐怖と闘いながら被爆二世としての自覚をもって生きようとする若者の姿を」描いた作品ですが、「被害者意識を打ち出して共感が得られるのか?」という批評です。以来、中村さんが「壁」になります。中村俊一に認められる作品を創ることが目標にもなります。

そしてようやく、「単にヒロシマを訴えるのでなく、ヒロシマの人間を描いてドラマとして成立している」と評価された『明日に舞う』を74年に発表します。「被爆死した母の遺志を継ぎ日本舞踊に打ち込む被爆二世が峠三吉の詩の創作舞踊に取り組む姿を」描いたものです。

「壁」にひるまず、なんとかなるという信念。継続は力なり。自分の世界を創ることは可能、あきらめない。− こんな言葉が飛び出てくる伊藤さんの、笑みを絶やさぬどこまでもおだやかな表情と声が印象的です。

被爆60年目のこの夏、NHK「ラジオ深夜便」は8月6日未明の時間に、伊藤さんは、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館の被爆体験記朗読ボランティアとして、活動する思いを語っていました。ヒロシマを胸に刻み、その精神を演劇をとおして発信し続ける伊藤さん。この秋、爆心地のすぐそばにある本川小学校が創作音楽劇を上演しますが、そのアドバイザーとして、孫のような子どもたちを励しています。


※市販の脚本集で読める伊藤隆弘作品
『男たちが消えた村』=「高校演劇戯曲選 18」(晩成書房)所収
『とうさんのチンチン電車』=「高校演劇セレクション90」(晩成書房)所収
『夜空を駈けろ!チンチン電車』=「高校演劇戯曲選 」所収
『あたら さくらの、・・・・』=「高校演劇セレクション2000・下」所収


(文・日本演劇教育連盟・市橋久生)2005/9/5