|
|
|
チケット販売の方法 part2 〜チケット販売の歴史 後編〜
演劇はもちろん、コンサートやスポーツ、イベントなどのチケットは、インターネットでの販売・入手や、全国コンビニチェーンでの受け渡しが一般的になり、数年前に比べれば格段に購入しやすくなってきた。 しかし、こうした状況に至るまでには、長い試行錯誤と紆余曲折があった。 今回は、70年代後半から80年代、そして現在に至るまでのチケッティングの歴史を探ってゆこう。 ●70年代のチケット販売の実態 70年代初頭に登場したイベント情報誌「月刊ぴあ」と「シティー・ロード」は、エンターテイメント業界にとっては追い風となり、一般市民にとっても文化芸術をより身近にしてくれる大きな力となった。 それまでは、口コミやチラシなどのごく限られた手段での宣伝が中心だった興行界も、より広範囲に情報を提供できる情報誌を活用し、人々もまた、よりレアな情報を求めて「ぴあ」や「シティー・ロード」を読みあさった。 しかし、この頃のチケット入手方法は、プレイガイドなどの店頭販売が中心で、人気 のある舞台の発売日前には座り込みの行列が出来たり、数少ないチケットを求めてあ ちこちのプレイガイドを渡り歩いたり、悪い席のチケットを泣く泣く買わされたりと、消費者側の苦労はかなりものであった。 プロモーター側も、できるだけ多くのチケットを売りさばこうと、売れ行きの悪いプレイガイドから売れ残りチケットを引き取り、売れ行きのいいプレイガイドへと移動するなど、莫大な労力を払っていた。 こうした中で生まれたニーズに目をつけた「ぴあ」は、店頭中心のチケット販売の方向性を大きく転換し、新たなチケット販売戦略をスタートさせた……。 ●コンピューターでのチケット販売の誕生 1980年代前半、大型ホールの出現とともに、一度に大量の座席販売が可能なシステムへの要望が急速に高まってゆく。 そのなかで、「興行の開催日、座席、金額などの情報をコンピューター上の電子情報として管理し、それをオンラインで結んだいくつもの端末を通じて販売するシステム」として、コンピューターチケッティングは誕生したのである。(コンピュータチケッティング協議会『10年のあゆみ』平成6年より) コンピュータチケッティングの第1号は、昭和58年(1983年)、(株)ぴあと劇団四季が共同で行った「Cats(キャッツ)」である。 実験的なシステムであったものの、発売初日に約16000枚を販売を実現。それまでの店頭販売では想像もつかなかった大量販売が高い評価を得た。 その結果、翌年4月から「チケットぴあ」が本格的にコンピューターチケッティングをスタートさせ、同年中には早くも3社が競合する新しい業界が生まれたのである。 これまで、チケット入手の困難さや地域、店頭によっての不公平感を嘆いていたファ ンには、待ちに待ったシステムの誕生。これにより、チケットを求めてプレイガイドを渡り歩くこともなくなり、どの端末からも公平に良い席を入手できるようになった。 長年のエンタテイメントファンにとっては、感涙ものである。 ●次々に訪れる環境の変化 もともとは情報誌としてスタートした「ぴあ」にとって、副業として始めたはずのチケット販売業が拡大されてゆくことは、本業にも大きな影響を及ぼした。 情報誌としての「ぴあ」は、チケット販売の業績が上がるにつれ、「チケットぴあ」の販売網に乗る興業の情報を優先的に掲載するようになる。 さらに、月刊から隔週刊をへて週刊と発行ペースを速めながら、「その週のイベント情報」を中心とした紙面構成から、「前売情報」を大量に派手に扱う方向へとシフトして、チケット販売の全体量を底上げするための戦略を推し進めてゆく。 「ぴあ」の急速な変化とは対照的に、独自のチケッティングシステムを持たない「シ ティ・ロード」はマイナー視されるようになり、やがて休刊へと追い込まれていった…。 チケッティングの歴史を顧みると、消費者への直接販売からプレイガイドによる店頭販売を経て、コンピュータ管理による現在まで、その時代に即応した販売方法が採られてきた経緯がある。それは消費者の利便性の向上と関連事業者の合理性を併せて追及しようとする日本エンタテイメント業界の歴史でもある。 とはいえ、ショービジネスという言葉が一般的な欧米諸国に比べ、日本のエンタテイメント業界は、まだまだ未成熟であると言える。それは、チケッティングシステムに関しても同様だ。 今後の日本エンタテイメント業界がさらに成長するためには、現状の課題をより深く把握し、チケッティング環境の改革を考えなければならない。 その時期は、「今」かもしれない―――。 |
|||||
|
(文・M)2003/2/10
|