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人と出会い、人と話し、人と創る 〜指輪ホテル〜

日本で活動している劇団は数限りなくあります。しかし、そのほとんどが一般には知られていないのが現状です。日本の演劇業界が、他のエンタテイメント業界、アート業界に比べ、マイナーであり続けているには、必ず、明確な問題があるはず―――。

このコラムでは、現在活躍している劇団に取材し、劇団の現状やそれぞれが抱えている問題点、演劇全体が広く社会に認識されるにはどうしたらいいのかなどのテーマを共に考え、演劇の魅力をより多くの方々へ知っていただくための方法を考察してゆきます。

第20回目の今回は、「指輪ホテル」です。


●指輪ホテル

1994年より都内数カ所のクラブにてレビュー活動を開始。
羊屋白玉(ひつじや しろたま)が主宰として作・演出を手がける。

旗揚げ当初のクラブでのパフォーマンスに始まり、廃工場や倉庫などオルタナティブな空間での演劇上演のほか、ヌーディティやヴァイオレンス、食物に対する考察など、ドラスティックな先駆性は、ほかに類をみない。

女優のカラダに載せて紡がれる羊屋白玉の物語には「これから来るべき新世界を恐れることなく生きていく女たち」が棲んでいる。


●羊屋白玉さんに直撃インタビュー

故・如月小春さんの「DOLL」をベースにした「情熱」をビルの屋上のテニスコートで上演したり、大宮にあるストリップ劇場「ショーアップ大宮」で、様々なアーティストを呼んで新しいイベントの形を創造したりと、常に話題を振りまく劇団「指輪ホテル」。

活動の幅は日を追うごとに広がり、演劇ファンに常に驚きを届けてくれる彼女たちのエネルギーの源はどこにあるのでしょうか?
作・演出を手がける主宰・羊屋白玉さんに、お話をうかがいました。


Q・羊屋さんって、もともとクラブ歌手だったとか?


文学部に入ったんですけど、中退して音大を受験しなおそうと思って、声楽を始めたんです。で、その頃知り合った子がバイトしてる会員制のクラブがあって、そこで歌手を募集してるっていう話をもらって、実際に歌ってみるのも勉強になるなって思って。その程度だったんですよ。


Q・演劇の世界に入るきっかけはなんだったんですか?


全く演劇とかは興味なかったんですけど、クラブに誘ってくれた子が、たまたま演劇学科の子だったんですね。で、クラブのママさんに、2人で何か出し物してよって言われて、だんだん歌うことからパフォーマンスに流れていっちゃったんですよ。

で、始めたばかりの頃にバブルがはじけちゃって、一緒にお店もはじけちゃって(笑)。でも、せっかくだから、もうちょっと大きくしてやりたいね、っていう話になって。で、指輪ホテルを始めたんです。1990年の12月くらいかな。上手(かみて)も下手(しもて)も分からない状態でしたね。


Q・主宰として作・演出も手がけるようになったのはいつから?


私は全くお芝居のこと分からないから、俳優として舞台に立ってたんですね。ただ、一緒に始めた彼女が「お芝居やめる」って言い出して。じゃ、私もやめようって思ったんだけど、周りからもっとやろうよって言われて、じゃ、脚本とか演出とかもやる?っていう感じで始めたんですよ。 それが、1994年くらいのころ。指輪ホテルが生まれてから3年ちょっと経ったくらいですね。


Q・96年には、すでに日本劇作家協会の中で企画を立てていらっしゃいますね。


私は……さらわれた、っていう感じかな?
クラブとかでやることが多くて。当時、クラブに舞台の人が出没するのって、結構先駆け的なことだったんですよね。そういうジャンルの中には、ハイレグジーザスもいました。

ちょうど、彼らも私たちとは違うアプローチで出没してて、すごく強烈な印象だったんですよ。で、一緒にクラブイベントに出たりとかしてるうちに、お互いに刺激しあったり、変なもの扱いされながらも、ちょっとずつ引き合いに出されるようになっていって。で、そういうのを観ていた演劇関係者から注目されるようになってきたんですね。

日本劇作家協会も、たまたま面白いと思ってくれた著名な演劇関係の方が誘ってくれて、「面白いから来てみない?」みたいな感じで。で、気づいたら大会のモニュメントを作ってました。(笑)

クラブでやっていた頃と同じ感覚でやってたんですけど、環境は明らかに違うので、知り合う人も変わっていって…。今思えば、この時期が転機だったのかもしれないですね。

いろんな団体に戯曲を提供したり、演出したりもし始めたし、ワークショップとかも始めましたからね。映像も作ったりして。そういう仕事はだいたいが、誰かが「やってみない?」って声をかけてくれたんですよね。


Q・2001年には演劇研究で渡米されてますが、きっかけは何だったんですか?


これもね、いきなり声がかかったんですよ。
Asian Cultural Councilっていう組織で、毎年アメリカとアジアのアーティストを交換して、数ヶ月から1年くらいの研修をさせるんですよ。本当は、何をしたいのかっていうことをちゃんとまとめて、応募して、何度も面接を繰り返して、で、合格した人が行くんですよ。

この年も、本当は演劇部門で行く人が決まってたんだけど、その人が身体を悪くしちゃって、で、どうしようかっていう時に、誰かが「羊屋に行かせたら?」って言ったらしいんですよね。(笑) それで、急遽行くことになったんです。


Q・ この留学中に、「LONG DISTANCE LOVE」という公演をやっていらっしゃいますが、ちょうど同時多発テロがあった時期だったんですよね。


あれは、白髪になるかと思った…。
ブロードバンドを使って、東京とニューヨークをつないだ演劇公演を企画したんですよ。内容としては、とってもスイートな、大掛かりなシステムを使って、東京とNYの女の子同士のひそひそ話というか、けんかしたり共感したりっていうやりとりを描くものだったんです。

でも、公演直前にテロが起こって、NYの女の子達はパニックになってたし、それでもやろうっていう私はすごく批判されたし、それまで築いていた関係が一気に空中分解してしまいましたね。


Q・そんな中で公演を続けたのはどうしてですか?


私にはそれしか出来ることがなかったんです。
ブロードウェイの「Show must go on」の精神って素敵だと思ったし、自分もそうだと思ったし、親が死んでも舞台はやらなきゃいけないって思ってたし。消防士の仕事と、私たちがやっている仕事に変わりはないって。

でも、NY側からすると、気持ちの分かっていない異邦人扱いをされて、こんな時に舞台どころじゃないって、はっきり言われました。


Q・どうやって公演を復活させたんですか?


とにかく、話しました。
彼女たちの話をとことん聞きに行きました。メールもいっぱいした。そうやってゆくことで、やっと「公演をやろう」っていう方向に向いたんです。
細かい英語は聞き取れないけど、「やろう」って。


Q・ そんな公演を経験したことで、羊屋さんの中で「何かが変わった」ということはありました?


公演を経験したことも大きいですけど、それ以外に、ワークショップに関する考え方が変わりましたね。

行く前は、ワークショップってよく分からなかったんですよ。教える・教えられるっていう関係に疑問を持ってたんですけど、NYでのワークショップはそういうスキルよりも、もっとメンタリティーな部分を重視しているんですよね。

このワークショップに参加しようと思った人たちを、どこまで受け入れられるかっていう面から出来てて、この場に集まった人たちを知るために徹底的に時間を使うんです。

「LONG〜」のメンバーにも、まだ脚本も出来てない頃に、「ワークショップやってよ」って言われたことがあるんですよ。メニューを用意していないから出来ないって答えたら、一緒に腹筋やったり、話をするだけでいいから、とにかく知り合うことをしたいんだって言われました。「やって」というより「やろうよ」だったんですよね。

「あ、ワークショップってこういうことか」って、やっと腑に落ちました。で、新しい試行錯誤が始まりましたね。


Q・新しい試行錯誤とは何ですか?


そういうワークショップを指輪ホテルでもやりたいんですよ。
ただ、お金を取ってやるとなると、ゲスト側の満足度っていうのも絡んでくるんで、難しいところなんですけどね。


Q・ワークショップは頻繁にやっているんですか?


公演のない時は、なるべくやりたいと思ってます。
私が、今いろんな人と知り合ってゆきたいんで、前回はプロセスワーク(※)のファシリテーターを呼んで、ワークショップをしました。

次回は、ストリップの方を呼んでやるんです。女性限定なんですけど、脱ぐとか脱がないじゃなくて、個人で作品を作ることとか、ショーイングとかやって、心ゆくまで個人の作品を作ってみたいなって。


Q・ 他にも、故・如月小春さんの後任として、中学生のワークショップをやったり、如月さんの「カガヤク」のリーディングに参加したりと、活動の幅をどんどん広げていらっしゃいますが、なにか“営業”とか“売り込み”のようなものをしてこられたのですか?


舞台の記録映像とか企画書とか舞台写真とか、パンフレットにして「みてください」ってモーションかけるのは普通にやってましたけど、その結果、誰でも小さいきっかけはあると思うのですよ。その小さいきっかけでやってきた出演依頼に関して、どんな条件でも怖がらず、疑わず、必ず受けてきたってことかな。 来た玉は確実に打つ。ずっとそうしてきましたね。

そして、どんどんと人と出会うことかな。
人と話してゆくことで、自分のやりたいことっていうのがまとまってくるし、人との関係の中で生まれてくるものがたくさんありますから。


羊屋さんとのお話の中で、彼女はとってもオープンな空気の方だなと感じました。
オープンというのは、自分個人や自分の団体の理念をしっかりと持ちつつも、それに固執したり押し付けたりすることなく、自分にあるものは全てさらけ出し、他人が持っているものはどんどんと吸収する、柔軟さのようなものです。

そういう羊屋さんだからこそ、いろいろな人との繋がりが広がって、活動の幅も広がってゆくんだな、と感じました。

自分の団体が雑誌に載ること、自分の団体が有名な劇場で公演をすること、それだけを目指して奮闘している劇団も、まだまだ多く見受けられます。
しかし、それは他人に何かを発信するクリエーターとしての仕事とは全く違います。

揺るぎない信念を持ち、人を受け入れ、人と知り合い、人に何かを発信してゆく。

狭い狭い演劇業界の中で、いかに自分の団体にお客を呼び込もうかという「小さなパイの取り合い」からはかけ離れ、演劇の魅力、自分たちの魅力を最大限に発揮するのは、そういったオープンな空気からはじまるのではないでしょうか。

※プロセスワーク
紛争解決に役立つなど、個人やグループの変化を援助する、様々な分野にわたるアプローチです。詳しくは、下記ホームページにて。
日本プロセスワーク協会
  http://pw-jp.hp.infoseek.co.jp/

  
※LONG DISTANCE LOVE メイキング
同時多発テロの発生による公演の中止から、公演復活までのメールのやり取りの一部が公開されています。
  http://www.yubiwahotel.com/www/ldl_hp/index.html

指輪ホテルホームページ  http://www.yubiwahotel.com/


(構成/文・O)2004/6/28