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日本語による日本人のためのオペラ
  〜オペラシアターこんにゃく座〜


日本で活動している劇団は数限りなくあります。しかし、そのほとんどが一般に知られていないのが現状です。日本の演劇業界が、他のエンタテイメント業界、アート業界に比べ、マイナーであり続けているには、必ず、明確な問題があるはず―――。

このコラムでは、現在活躍している劇団に取材し、劇団の現状やそれぞれが抱えている問題点、演劇全体が広く社会に認識されるにはどうしたらいいのかなどのテーマを共に考え、演劇の魅力をより多くの方々へ知っていただくための方法を考察してゆきます。

第21回目の今回は、「オペラシアターこんにゃく座」です。


●オペラシアターこんにゃく座

オペラシアターこんにゃく座は、「新しい日本のオペラの創造と普及」を目的に掲げ、1971年に創立された。

こんにゃく座は、オペラの演劇性を重視し、こんにゃく座の原点である「こんにゃく体操」で培われた身体性を駆使し、演出面にも斬新な発想を提示し続けている。そして大掛かりなグランド・オペラの方向はとらず、ピアノのみ、あるいは小編成のアンサンブルの演奏と少人数の出演者による作品を創作し、数多くの上演を重ねてきている。

現在こんにゃく座は、林光を芸術監督、萩京子を音楽監督とし、歌手29名を擁し、年間約300公演の上演活動を続けている。


●こんにゃく座の代表であり、音楽監督の萩さんにお話をお伺いしました

1979年よりこんにゃく座の座付作曲家兼ピアニストとして活躍し、1997年には、音楽監督に、また2004年6月より代表に就任された萩京子(はぎ きょうこ)さんに、日本のオペラの現状と、日本語でのオペラに対するこだわりをお伺いしました。

Q・日本でのオペラの現状とは、どういうものなんですか?


日本やアジアにも音楽劇の伝統というものがありますけど、明治の日本にオペラが入ってきた時、その素晴らしさに対する感動と憧れが強くあったんですね。そして、日本でオペラを実現するために日本のオペラの第1世代、第2世代、第3世代というのは、さまざまな努力をしてきました。

そして、演劇の世界でも明治以来「新劇」として海外の戯曲の翻訳劇が多く上演されていたように、オペラの世界でも、海外の曲を日本語に訳して、どんどんと上演されていた時期があったんですね。

でも、オペラ音楽は言葉から出てきているものだから、もともとの言語を翻訳して上演すると、言葉と音楽がずれてきたりして、無理が生じてきたわけなんです。で、原語での上演の方がいいという考えが出てきて、このごろでは徐々にもともとの言語で上演されて、横に字幕が出る、という形が一般的になってきたんですね。


Q・ オペラについて調べてゆく中で、日本語を歌う技術がおざなりにされている、という言葉に多くであったのですが…。


オペラを目指す人って、たいてい音大を卒業している人たちなんですね。で、大学ではイタリアから始まって、海外の音楽を先に学んでゆくわけなんです。そして、日本語の歌は一番最後に、おまけ程度にやっているだけなんですよ。

ヨーロッパ並みの歌唱力や劇場が求められていて、いかに声をりっぱになりひびかせるかということに多くの力が注がれるようになってしまっているんでしょうね。残念ながら、日本語で歌うための基礎が出来ていないことが多いのかもしれません。

今は、日本語のオペラ上演の時にでも、横に日本語の字幕が出てるんですよ。おかしな話ですけど。でも内容がわからないよりは良いんでしょうね。

実際、オペラだけで生活できるオペラ歌手はほんのひとにぎりなんです。皆、音楽の先生などの副業を持ってます。そういう人たちがオペラだけで食べてゆこうと思ったときには、海外でのコンクールで賞を取って、歌手としての実力を認められて…、という過程を踏まなければならないという現実もあります。

だから、オペラをやろうとする人たちが海外に目を向けていることも含めて一概に良し悪しを判断することは出来ませんけどね。


Q・ そんな中で、こんにゃく座さんは「日本語でのオペラ」にこだわっていらっしゃる理由は何ですか?


私たちとしては、普段使っている言葉というものから音楽がたちあがってゆき、語るように歌い、歌うように語る、歌がお芝居になる、そのつながりの部分が本当に楽しめる「音楽劇」としてのオペラというものを作ってゆきたくて、劇団を立ち上げたわけなんです。

コンクールで賞を取って、実力を確固たるものとすることは重要かもしれませんが、それは一人のスター性を重視した場合なんですよね。でも、演劇同様アンサンブルの力が重要で、お芝居として物語をきちんと伝える。その表現方法として、音楽がある、というのがオペラの本来の形だと思うんです。

こんにゃく座には、声楽の勉強をしてきた人で「日本語がおまけなのはおかしい」という考えの人と、もともと演劇をやっていたけど、歌の魅力に気づいてオペラを目指した人が同居してるんです。これって、珍しいことなんですよ。

そして、値段が高くて、とっても壮大で、一生のうち一回くらい観ておこうかな?というような「オペラの壁」を壊して、「もっと身近なものなんですよ」ということを知ってもらいたくて、「体育館からオペラ」をモットーに、旅公演を始めたわけなんですよ。


Q・ 学校の演劇鑑賞会が減ることで、ステージ数が減少している劇団も多いようですが、経営面でのご苦労はありますか?


1971年に旗揚げした当初は、創立メンバーがアルバイトでためたお金でバスを1台買って、学校に横付けして、そこで寝泊りをしていたんですよ。オペラだけで生活をすることが大前提でしたから、完全給料制にして、公演で頂いたギャランティーは全て分配してました。年間、200ステージほど回ってましたね。

でも、そういうバス生活って楽じゃないでしょ?耐え切れずにやめる人も出てきましたし、作品のクオリティーに対する欲求も高まってきて、バスでの生活をやめたんです。勿論、完全給料制も破綻しました。

しばらく繋ぎの時期があって、85年に再スタートを切ったんです。稽古場を持って、事務所を構えて、ステージギャランティー制にしました。しばらく時間があいたので、再スタートの年のステージ数は30くらいでしたね。

89年から助成金をもらえるようになって、制作担当者も抱えられるようになって、今は年間300ステージも回れるようになりましたけど、まだまだ歌手全員に満足のいくお給料を支払えるわけではないです。

新国立劇場ができてからは、オペラの観劇人口が増えているのも確かだそうです。ただ、有名な海外の歌手が出ているもの中心で、裾野が広がっているかというと、ちょっと分からないですけどね。

でも、昔より、小・中学校での公演が減っていると言っても、それ以外の鑑賞団体さんでの公演が増えてきてます。それに、最近では高校からの依頼も増えてきてますね。そいういったところから、裾野が広がってゆくといいな、と思います。


こんにゃく座さんの旗揚げ当初の写真を見せていただきました。
豪華とは言えないセットや衣装、狭いバスの中にひしめき合っての食事。大劇場で上演されているオペラとは全く違った印象でありながら、皆さんの顔は、「オペラを伝える」という強い意志と誇りに満ち溢れているように感じました。

体育館公演の過酷さは、芸を荒れさせる、役者をぼろぼろにする、とよく言われます。事実、何もない空間にイントレという鉄骨を汲み、明かりを仕込み、美術を組み立て、空調のない中で全てを締め切る苦しい空間での演技。朝は早く、夜は移動で疲れが溜まる一方で、並大抵の思いでは乗り越えることは困難です。

それでも、「体育館からオペラ」という発想を実現させるためには、オペラを根付かせたいという意志と、必ず伝わるはずだと信じる強い気持ち。そして、それが人々に必要なものなんだという信念なくしては、決してあり得なかったでしょう。

たとえ、過酷さゆえに一度破綻したとは言え、変わらぬ意志の力が、現在の年間300ステージという、他の追随を許さないステージ数を生み出したのです。

オペラでも、演劇でも、集客の少なさを嘆くことは簡単です。最も大切なのは、伝えるんだという強い意志と、伝わるはずだと信じる気持ち、伝えなければいけないという信念です。こんにゃく座さんの活動やその歴史から、そのことを改めて気づかされたような気がしました。


オペラシアターこんにゃく座ホームページ
 >>> http://homepage2.nifty.com/konnyakuza/

(構成/文・O)2004/7/26