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伝えなければいけないことがある 〜劇団タコあし電源〜

日本で活動している劇団は数限りなくあります。しかし、そのほとんどが一般に知られていないのが現状です。日本の演劇業界が、他のエンタテイメント業界、アート業界に比べ、マイナーであり続けているのには、必ず、明確な問題があるはず―――。

このコラムでは、現在活躍している劇団に取材し、劇団の現状やそれぞれが抱えている問題点、演劇全体が広く社会に認識されるにはどうしたらいいのかなどのテーマを共に考え、演劇の魅力をより多くの方々へ知っていただくための方法を考察してゆきます。

第32回目の今回は、「劇団タコあし電源」です。

●「劇団タコあし電源」

1998年、主宰であり脚本・演出を勤める岡本貴也(おかもと・たかや)を中心に旗揚げ。以後、年間2〜3本のペースでオリジナル作品を発表。

2004年7月、神戸出身の岡本貴也書下ろしの作品「阪神淡路大震災」が大きな話題となる。

今年はその作品をリニューアル。【舞台|阪神淡路大震災】実行委員会が主催となり、全国からオーディションによって選ばれた俳優による全国ツアーを敢行する。

●岡本貴也さんにお話をお伺いしました

自らも神戸出身という岡本さん。阪神・淡路大震災の当日は、東京にいて実際に地震にはあわなかったものの、実家は全壊していたそうです。

今回は、1995年1月17日の神戸に真正面から向き合い、作品にしてゆこうとお考えになったその胸中や、今年の全国ツアーに向けての意気込みをお伺いしました。

Q・ 岡本さんは映画やテレビの脚本家としてもご活躍されていますが、この作品を映像ではなく舞台でやろうと考えたのは何故ですか?


映像と生の舞台との違いということになると思うんですが、映画にしてもテレビにしても、結局スクリーンの向こうの出来事で、“対岸の火事”でしかないと思うんです。でも、生の舞台ではそうはいきません。目の前で生身の人間が演じていて、一つの空間を全員で共有することで、心への刺さり具合が全く違うと思うんです。

今年の1月17日前後は十周年でたくさん報道されていましたが、この十周年を過ぎたらもうテレビなどで取り上げる機会がないわけです。なので我々のような活動が必要になってくる。そして10年経ったいまでは、報道ではなく「作品」が必要だと私は考えています。

Q・ 実際にご家族が被災された岡本さんにとって、当時のことを思い出すことはとても辛いことだったんじゃないですか?


当時、僕は東京にいたんですけど、大学の卒業試験で忙しくてすぐには帰れなかったんです。親父からは、「今帰ってきたら1人分の食料が余計に必要になるから帰って来るな」とも言われました。そして、試験が落ち着いて神戸に戻ったときには本当に衝撃でした。

実家は全壊し、思い出の街が焼け、多くの方々が亡くなり……。すぐに帰ればよかった、ボランティアをすれば良かったと、ずっと後悔していました。

初演は、あの震災から9年経った時でしたが、すでにその時点で震災の記憶は社会から薄らいでいて、神戸でさえ震災を知らない人が増えてきていたんです。だから、今何かやらなくてはという思いが強くなっていきました。

ただ、やっぱり作品を上演するのは怖かったです。今まで誰もやったことのない試みでしたからね。たくさんの取材をしたんですが、知れば知るほど、「けして6433名もの亡くなった方々や遺族、被災者の皆様に対して失礼があってはならない」と、ものすごく怖くなりました。

でも、神戸の仲間や取材に協力して下さった方々が、「伝えたい思いはあるけど、自分たちには手段がない。でも、お前にはあるじゃないか」と、背中を押してくれたんです。

そして、実際に公演を終えてみると、想像以上に反響が大きくて、これは個人的な感情ではとても処理できないものだと気付きました。

Q・ この作品を作る上で苦労されたことは何ですか?


まず、手法を考えるのに苦労しました。
この作品には、主人公を置きたくありませんでした。ドラマが進行し、観客がその主人公に感情移入し、最後にカタルシスを得ることによって、観客がドラマ単体に満足してしまうのが怖かったんです。だから、事実をありのまま見せる手法を模索して、時間軸に沿った様々なエピソードを並べるようにしました。

また、劇場全体を被災地にするために、現代演劇の「お約束ごと」を全部取り払いました。例えば、出はけ口も作らず、袖幕も作らず、全てむき出しの舞台にしたんです。ブースから役者が出てくることもありましたし、楽屋から大声で叫ぶこともありました。劇場全体を一つの空間にしたかったんです。

そうすること、逆により演劇的になったというか、空間の統一性と客との一体感が強くなりました。これは発見だったし、成功でした。

そして、完結した作品ではなく、オープンエンドなものにしました。「震災はまだ続いている」というメッセージを込めて、この作品を観た皆さんに、これから先も地震や震災について考えていただければなと。

初演は110分だったんですが、終わってからも座席を立とうとするお客さんが少なかったです。そして、会場を後にしたあるお客さんがボソッと呟いたんです。「あ、劇場の外は普通(何も変わらない日常)なんだね…」って。

お客さんにも震災を追体験してもらいたい。そうすることで、テレビや雑誌などでしか震災を知らなかった人たちの震災に対する受け取り方が少しでも変われば…。その思いが確実に伝わったんだと実感しました。そしてそれが、今年の全国ツアーにもつながったんだと思います。

Q・ 今年、新潟中越地震の1周年を皮切りに全国ツアーを行われますが、どのような形で取り組んでいらっしゃいますか?


前回の反省として、被災した俳優とそうでない俳優の温度差がかなりあったんです。僕も被災した側の人間なので、どうしても“出来事”ばかりに目が行ってしまったり、もっと被災者の気持ちになって演じるようにという演出が中心になってしまったんです。

でも、それってすごい偏りがあるというか、この作品の持つテーマから乖離してしまったんじゃないかと思うんです。ですから、「震災とは何か」よりもさらに奥へ行って「人間と何か」「人間はどう生きて、どう死ぬのか」をもっと真っ直ぐに見つめ直したいと考えています。

また、俳優陣も変わります。初演は「タコあし電源」の俳優が中心でしたが、今回は新潟や神戸などからオーディションで選ばれた俳優で構成されています。さらに、リサーチを重ねて加筆やカットを施し、90分にまとめます。

マスメディアでは決して伝わらなかったこと、そして、これから先もずっとずっと伝えて行かなければならないことが凝縮された、よりストレートで濃密な作品になるでしょう。

初演を終えたわずか3ヵ月後、新潟中越地震が起こりました。岡本さんは友人とともにすぐに車で被災地に駆けつけたそうです。そして、そのことをホームページで伝えたところ、岡本さんの舞台を観たたくさんの方々から、1台のトラックには納まりきれない程の救援物資が届いたのだそうです。

「あの舞台を観なければ、自分は震災のことを知らずに一生を過ごしただろう」
「あの舞台を観なければ、こんな気持ちにはならなかった」

これが、実際に公演を観た方々から届いた言葉です。

演劇は、エンターテイメントであると同時に、メディアでもあります。
戦争しかり、震災しかり、社会問題しかり。さまざまな問題を投げかけ、ともに考えてゆく力を与えることは、演劇の重要な仕事です。この仕事に大きな誇りと強い責任感を持つことの大切さと、その意義を教えてもらったような気がします。


☆★☆★ 公演情報 ★☆★☆

          震災から10年。
マスメディアでは伝わらない。けれど演劇にはそれができる
        【舞台|阪神淡路大震災】

2005年10月23日(新潟中越地震1周年の日)、新潟県分水高校を皮切りに、全国ツアーが始まります。
  ※学校公演は、関係者のみの入場となります。ご了承ください。

10月24〜30日 新潟・岩手・宮城の3県を巡回公演

被災地凱旋公演
 11月29日〜30日 神戸市メリケンパーク海洋博物館ホール
 12月2日〜4日   西宮 なるお文化ホール

東京公演
 2006年6月23日〜27日 東京芸術劇場・小ホール1

詳しくは、公式ホームページをご覧ください。
 >>>http://www.tacoashi.com/kobe/

(構成/文・O)2005/6/27