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素晴らしい歴史を持った若い劇団 〜劇団前進座〜

日本で活動している劇団は数限りなくあります。しかし、そのほとんどが一般に知られていないのが現状です。日本の演劇業界が、他のエンターテイメント業界、アート業界に比べ、マイナーであり続けているのには、必ず、明確な問題があるはず――――。

このコラムでは、現在活躍している劇団に取材し、劇団の現状やそれぞれが抱えている問題点、演劇全体が広く社会に認識されるにはどうしたらいいのかなどのテーマを共に考え、演劇の魅力をより多くの方々へ知っていただくための方法を考察してゆきます。

第48回目の今回は、「劇団前進座」です。

●劇団前進座

1931年5月22日、「本劇団はその収入によって座員の生活を保証しつつ、広汎な民衆の進歩的要求に適合する演劇の創造に努力する」「全座員によって構成する総会を最高決議機関とする」という民主的な劇団の創造と運営の方針をかかげ、前進座が誕生。あたかも満州事変勃発の4ヶ月前であった。

創立参加者は32名、歌舞伎名題3名、大部屋出身16名、女優2名、新劇から文芸演出陣5名、それに名題の弟子、男衆たちが加わった。

旗揚げ公演は、市村座で、創立にいたる歌舞伎界と春秋座のできごとを題材にした『歌舞伎王国』他3本立てで上演したが、予想外の不入りで、その後宣伝、資金繰りなどに奔走。年末になりようやく月三十円の給料を劇団員に支払えるようになった。そして現在、日本では珍しい完全給料制の劇団となる。

第2次世界大戦などを耐え抜き、激動の歴史を乗り越えて、今年で75周年を迎えた。

●代表取締役専務・大久保康雄さんにお話をうかがいました

今年5月に75周年を迎えた前進座。日本の古典にこだわり続け、幾多の困難を乗り越えてきた劇団の原動力とはいったい何なのでしょうか。今回は、代表取締役専務・大久保康雄さんに、劇団の歴史と経営についてお話をうかがいました。

Q・ 日本の古典に徹底的にこだわっていらっしゃいますが、創立のきっかけはどんなものだったのですか?


1920年代後半に起った第1次世界大戦後の世界恐慌は、日本でも企業倒産、首切りなどによる労働協議が頻発する時代でした。この影響は「象牙の塔」といわれた歌舞伎界にも大きな影響を与えました。今でもそうかもしれませんが、歌舞伎の世界では幹部俳優と大部屋の俳優とでは、最高1万円以上から、最低25円と、給料に大きな格差があったんですね。もともと低賃金な上に、不景気のあおりを受けて賃金カットなどが生じてきて、不満が募ってきていたんです。

また、世襲制度や門閥制度などの古い体制を守っている世界でしたから、どれほど腕があっても主役にはなれない、どんなに努力しても世間に認知されないという、俳優としてのフラストレーションもかなりあったようです。

おりしも、第1次世界大戦後に入ってきたヨーロッパやソビエトの演劇に関心が集まっている時代でしたから、歌舞伎界の若いメンバーと、新劇を目指す若者たちが出会い、共に新しい世界、新しい体制を求めたのは必然だったのかもしれません。

Q・ 世界恐慌、第2次世界大戦、戦後の貧困等、大変な時代を歩んでいらっしゃいました。この苦しい時代を乗り越えられた原動力はなんだったのですか?


創立以来、我々が行きつ戻りつしながらも歩み続けてこられたのは、自分たちの信じる作品を観客に対し体当りでといかけ、成功すれば食べてゆけるし、失敗すれば苦しい。この苦しみを団結という力にかえて、困難を乗り越えてきたからだと言えます。

でも、一番大変だったのはやはり戦後じゃないでしょうか。東京に劇場がないので、終戦の1945年から10年間ほどは地方巡業中心でした。この間に日本を3周もしたんです。当時は、道路交通網なんて整備されていませんでしたから、移動だけでもそれはそれは大変なものでした。

私たちは勿論ですが、公演を主催してくださる方々もお金がありませんから、旅館などに泊まれるはずもなく、主催者側の皆さんのお宅に分散して泊めていただいたりもしました。

こういう過酷な巡業をしていた時代の合言葉は「地方の若者に文化に触れる窓を創ろう」でした。敗戦で焼け出され、呆然として生きる目的を失った若者たちに、「これからの日本をどうするべきか、共に考えよう」というメッセージを投げ込んでいったんです。

この活動の中で強く感じ、私たちの原動力になったのは、やはり“文化の重要性”です。地方の青年たちの文化に対する空腹感を肌で感じました。本当に心がカラカラに乾いていたんだと思います。

しかし、活動を続ける中で、若者たちの芝居を観る目がどんどんと強くなり、息を吹き返していったように思うんです。呆然としていた社会に思想が生まれ、力がわいていったように感じました。そして、これが現在の演劇鑑賞会になっていったんです。

あの時の活動がなければ、今のように多くの方々に支援されることはなかったかもしれません。また、文化の重要性や演劇の素晴らしさが、お腹の中にずっしりと落ちてくることもなかったかもしれませんね。

Q・ これだけの激動の時代の中、劇団には珍しい完全給料制、社会保障完備とい組織体制を維持してゆくのは大変だったんじゃないですか?


劇団創立の理念として、「本劇団はその収入によって座員の生活を保証しつつ、―――」とあります。本当の意味での専門演劇人の集団、プロの演劇人として地に足つけて創造活動に専念したいというのは、いつの世もクリエーター共通の思いではないでしょうか。

どうにかこうにか給料を払えるようにはなっていましたが、やはり生活は苦しいものでした。それが、創立後2〜3年目辺り、ちょうど無声映画からトーキーに変わる時代になり、映画のお仕事をいただけるようになってきたんです。そのおかげで、当時のお金で5万円ほどの余剰金ができました。

どう使おうか、皆に分配しようか、といろいろ話し合った結果、現在の前進座のある場所に約2000坪の土地を2万円弱で購入し、いわゆる社宅と稽古場をつくりました。生活の基盤となる住居、作品を作り上げる基盤となる稽古場、この2つの確保は必須だったんですね。

ただ、これだけの資産を保有するとなると、皆演劇だけをやってきたメンバーですから管理などに関しては疎いんです。そこで法律顧問の方にいろいろと相談して、資産管理を目的とした株式会社を設立し、より明確な給料体制等を整えていったんです。

創立当初は32人だった座員が、今は100人を超えているので、月々の人件費だけでも大変です。プロの独立劇団の確立のためには、劇団としての新陳代謝と社会保障の整備も必要でした。しかし、バブル崩壊後の演劇界全体を巻き込んだ業種不況ともいえる時期は大変でした。

正直、俳優はステージギャランティー制にしたらどうかという話が出たりもしました。確かに、そうすることで目先のお金には余裕ができるかもしれません。でも、俳優は舞台がない時でも技術を磨き続ける必要があるし、会社はそこに投資する必要があると思うんです。そして何と言っても、劇団の理念に反します。

他の劇団もそうだからと言って、前進座が貫き、こだわってきたこの理念をこわすことは、創立者たちの意思を守るためにも、作品や俳優の質向上のためにも、変えることがあってはいけないと思っています。本当に大変ですけどね。

Q・ 今後の展望を教えてください。


これからは、児童演劇に力を入れて行きたいと思っています。

私たちはずっと日本の古典の批判的敬称に力を注いできました。敗戦、そして高度経済成長などを経て、我々日本人がもともと持っていた筈の大切な何かをどこかに置き忘れ、または捨て去ってしまったんじゃないかと、最近のニュースを見るたびに深く考えてしまうんです。今こそ、日本の心、精神、文化をもう一度見つめ直すことが大切なのではないでしょうか。

人を軽々しく殺し、児童が自殺し…。
昔の日本なら、こんなニュースは少なかったし、こんな事件が起こる前に食い止められたと思うんです。命が軽くなり、人間関係が希薄になってゆく現代に「軌道修正がひつようなんじゃないか?」「日本人の情はどこに行ってしまったのか?」という問いを投げ込んでゆきたいです。

そして、子供たちに何かを見て感動する心を培ってもらうために、「これが君達が生まれた国だよ」「これが君達が生まれた国の文化だよ」と伝えて行きたいと思っています。


歴史をうかがっていると、本当にどれだけ時間があっても足りません。もっともっと詳しくお聞きしたかったというのが本音です。それにしても、本当に激動の時代に座員を守り、日本の文化を守ろうとした創立者たちの意志の強さには感動しました。

そして、その意志を受け継ぐ座員の皆さんも、現代で出来る最高のことを目指して進んでいらっしゃるようです。そのことを、大久保さんが劇団代表の中村梅之助さんの言葉で表現してくださいました。

「すばらしい歴史を持った若い劇団であり続けたい」と。


前進座公式ホームページ>>>http://www.zenshinza.com/index2.htm

(構成/文・O)2006/10/23