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演劇で生きる、演劇が生きる 〜デイリー・アウル・シアター 前編〜

日本で活動している劇団は数限りなくあります。しかし、そのほとんどが一般に知られていないのが現状です。日本の演劇業界が、他のエンターテイメント業界、アート業界に比べ、マイナーであり続けているのには、必ず、明確な問題があるはず――――。

このコラムでは、現在活躍している劇団に取材し、劇団の現状やそれぞれが抱えている問題点、演劇全体が広く社会に認識されるにはどうしたらいいのかなどのテーマを共に考え、演劇の魅力をより多くの方々へ知っていただくための方法を考察してゆきます。

第50回目の今回は、「デイリーアウルシアター・前編」です。

●デイリーアウルシアターとは

1999年、演出家・脚本家として活躍する吉田貴秀(よしだ・たかひで)を中心に結成。約30分というショートストーリーの中に、風刺とユーモアと人間愛に溢れたテーマを盛り込んだ作品を次々と発表し、「短編演劇」という新たなジャンルを開拓する。

パントマイムを駆使した身体表現術と斬新な演出は幅広い年齢層から支持を受け、1999〜2000年は新宿ビプランシアター、2001年以降は東京芸術劇場を拠点に公演を行い、2002年からは、全国各地の公共ホールや演劇鑑賞団体からの招聘によってレパートリー公演を実施。また、年間100日にも及ぶ各地での演劇ワークショップや、埼玉県立芸術総合高校での授業など、演劇教育分野にも進出している。


●演出家・吉田貴秀さんにお話をうかがいました

東京の小劇場演劇から、全国へと活動を広げたデイリーアウルシアター。その成長のプロセスは、下北沢を中心に、上演する劇場のステップアップを目指しながら劇団の規模と知名度をあげてゆくという“小劇場スゴロク”とは一線を画しています。

どのように、劇団としてのステップアップをしていったのか?小さな劇団が全国進出を果たすために必要なこととは何なのか?その秘密を、2回に分けてお届けします。

Q・ デイリーアウルシアターの設立のきっかけを聞かせてください。


もともと前身となる劇団で、5年ほど活動をしていました。でも、人数が多くなったり、メンバーのレベルのばらつきがあったりして、その状況に苦しんでいたため、思い切って解散して、主要メンバー数名で立ち上げたのがデイリーアウルシアターです。

Q・ 解散後、すぐにデイリーアウルシアターを結成したのですか?


いや、すぐにではないですね。ブランクは2年ありました。その間、新しい劇団を立ち上げることを前提に、それぞれのメンバーがスキルアップをはかろうと、商業演劇的な分野や、テレビ業界、ビジネスの営業などの世界で修行をすることになって、2年後に、予定通りに再結成したという感じです。

Q・ そのときは、すでに“短編演劇”というジャンルだったんですか?


そうですね。前身劇団の最後のほうで開拓した短編に、大きな手ごたえがあったんですよ。長編演劇が悪いわけではなくて、もっと演劇嫌いの人が簡単に楽しめるようなレベルのものがないかと考えたときに、これがいいんじゃないか?というのが、短編というジャンルだったんです。

Q・ 99年に結成してから、2001年までの間に、ものすごい勢いで作品を発表されていますね。(23本の短編作品を創作、上演)これは、どうやって創作していったんですか?


通常、「作・演出」という形ですが、僕の場合は「構成・演出」という立場でやっています。それぞれのメンバーが持ち寄ってきた企画やアイデアをまとめたり、膨らませたりしながら“構成”するという形で。だから、多数の企画を同時に進行させることができたし、1人で作っていたわけではないので、それなりのバリエーションの豊富さが実現できたんです。どうしても座付き作家が一人で作ると、ひとりよがりになるか、ワンパターンなものになってしまいますから。

それと、もうひとつ大きな要素は、舞台美術に、同じ規格の椅子と箱を用意して、それぞれの作品ごとにそれぞれを組み替えて美術にしてゆくというスタイルをとったんです。イメージ的には、住宅業界のプレハブ住宅のような感じですね。こうすることで、ランニングコストも抑えることができるし、気軽に新しい作品づくりができるという環境ができるようになりました。

Q・ そして、結成からわずか3年足らずの2001年夏から、一切自主公演を行っていないですよね。それには理由はあるんですか?


自主公演のビジネスモデルに、限界があるのではないかと思っていたんです。もともとチケットノルマというシステムはありませんでしたが、チケットは俳優の手売りや劇団扱いで販売して、それでキャパ300クラスの劇場をいくら満員にしても、制作費は黒字になるけど、人件費までは出ないですから。それなら、もっと違うカタチに変わってゆこうと、公演を休止して、営業や経営方面へと、全部の力を注ぐようにしました。

もともと、短編作品を多数創作するというのも、ソフトとして販売しやすいようにするという狙いがありましたし、今までにないジャンルだったので、魅力的だと感じていただけたのかもしれませんね。

Q・ ソフトとして販売というと、どういうところに向けて営業するのですか?


主に公共ホールや演劇鑑賞団体です。それまで俳優だったメンバーが、全員名刺を持ってスーツ姿で、パンフレットなどの営業ツールを持って全国各地の公共ホールを回りましたよ。でも、ビジネススキルがあるわけではないから、ほとんど見よう見まねで。(笑)

最初のうちは門前払いをくらいながらも、ソフトへの自信と情熱で何度も通って。そのうちに、少しずつ耳を傾けてくれるお客様が増えてきたという感じですね。

あとは、テレビ番組などにも、ですね。30分という尺は番組としてもOAしやすいので、ローカル局とか、CATVとかへ。J-COM Broadbandとは、それ以来ずっと提携して、中継番組をOAしていただいています。

Q・ そのように、ソフトを販売することで、運営はなりたっていったのでしょうか?


いや、今でこそ少しずつ見通しが立ち始めてはいますが、まだまだぜんぜん。やはり演劇は人が携わるもので、大量生産が不可能なものですから、創作コストもかかりますし、そのための日数もかかります。コストパフォーマンスとしては、決して優れたものではないですから。

でも、いろんなエリアで呼んでいただけるようになると、その場所の方々が近隣エリアの方々へ評判を口コミで広めてくださるので、そうやって少しずつ、という感じです。「やったー、新潟進出!次は石川、富山だ〜!」とか。(笑)

経営上で欠かすことができないのは、ソフトを上演する「公演事業」よりも、ワークショップを中心とした「演劇教育事業」ですね。

演劇に興味のある方はもともととても少ないので、一部の商業演劇以外、演劇がマーケットとして成り立っているとは思えません。限られたパイを奪い合うようなことをしても、未来はない。それならば、次世代の演劇ファンを増やすための活動に力を入れよう。そう思ったのがきっかけです。

Q・ ワークショップ活動の始まりですね。


ええ。これも最初は、近隣の学校や児童館に、「子ども向けの演劇教室をやらせてください」という売込みからはじめました。何十回もの門前払いをくらいながらも、ね。(笑)

でも、わりと早い段階からワークショップを行っていたのと(品川区スタジオ、渋谷パルコなど)、イギリスの教育プログラムを学んでいたこともあって、それなりのノウハウとプログラムのストックはあったんです。

それをどのようにアレンジして、一般の方々にも「楽しい!」と感じていただけるかどうか、それは試行錯誤の連続でしたね。

おかげさまで、東京の八王子市、調布市、北区、港区、埼玉県志木市、神奈川県茅ヶ崎市など、何年にも渡ってリピートしてくださったり、数カ年計画で演劇文化普及へのプログラムを一緒に考えてくださったりと、強い味方になってくださったのはありがたいことですし、奇跡だと思っています。

あとは、埼玉県立芸術総合高校から特別非常勤講師として呼んでいただいたことも大きかったかもしれません。演劇が、“公立の学校”の授業となるわけですから。やりがいはありますよね……。


小劇場出身ながらも、“小劇場スゴロク”とは全く違う形で、成長の道を走り続けるデイリーアウルシアター。そのプロセスは、「有名になりたい!」というような若手劇団の情熱ではなく、「どうやったら社会の中で、演劇が生き続けることができるか?」というテーマへの自問自答の繰り返しだったようです。

それが、ビジネス的な視点を養い、さらには、活動の幅を広げる原動力となってきたのかもしれません。

そして今、吉田さんは、「デイリーアウルシアターは今が過渡期」と語ります。これからの時代を生き抜くために、今、もっともチカラを入れて取り組んでいることとは?現代の若手演劇人を見て、不安に思うこととは?

続きは、次回、お届けします。どうぞ、お楽しみに!

デイリーアウルシアターHP>>>http://www.dowt.net/
2007/1/29