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「動く」ことで深まる理解〜横浜小学校〜 前編
横浜国立大学教育人間科学部附属横浜小学校。2005年度、3年1組の増田格人さんの学級(児童数40名)では、「総合的な学習」の時間を使って、学期それぞれに劇の要素を含んだ表現活動が展開された。1学期は国語の授業の発展として、2学期は音楽の授業をふくらませてペープサートを、3学期は子どもが脚本をつくって…。 横浜小学校では、「ともに学びを創り上げる子どもを育てる教育課程の創造」をめざして、学力の中核を「自己決定能力」「自己責任能力」「関わり合う力」の3つととらえている。特に総合単元学習を、3つの力の育成に直接結びつくことができる学習として研究・実践している。 3年生は 119名で3学級。学年愛称「スマイル」の名前がぴったりのいつも笑顔が絶えない子どもたちだ。学年の教師たちは年度初めに「まあるくふれあい みんなでチャレンジ だからわたしはここにいる」という学年テーマを設定して、子ども一人一人が自分の存在を、友だちとの活動の中で意識し実感できる自己肯定感を育みたいと考えた。 さて、3年1組増田学級では、1学期の国語の教材『ありの行列』(大滝哲也・文)の学習が、教科書を離れて「動く」授業に発展した。蟻の生態を描いた説明文である。それが劇に? 文中に、「ちりぢりになる」という表現がある。この言葉の具体的なイメージを本当に子どもたちは描けるるだろうか?と増田さんは思った。国語辞典を引き言葉の意味を知っても、蟻が動いているようすまで含めて「ちりぢりになる」ことをわかったとは言えないだろう。 そこでこの場面を学習する時、「ちょっと蟻になって動いてみてよ」と投げかけてみた。みんなで実際にやってみると、やはり子どもたちはその場面のイメージがうまく表現できないのだ。自分の知識を総動員し、さらに国語辞典で意味を知り、理解しながら表現していった。 そのおもしろさを体得した子どもたちは、学習の発展として教材全文を同じようにやってみようということを一、二もなく選択した。 学校、学年には、「はじめに子どもありき」の基本的な姿勢がある。「総合単元学習」では、机上のプランを固定して子どもをそこへ導くのではなく、子どもの日常や学習の中で3つの力を育てるのにもっとも適した教材を子どもとともに考え、子どもたちの発想や創造性を生かして深め、広げられるもの、そして子どもたちがしっかりと乗り越えなくてはならない問題(ハードルと呼んでいる)をもつものを吟味して、総合に創り上げていくのである。 教師たちはそのハードルを子どもの内面に見た。すなわち、自分の既成の固定概念を破って表現することができるかどうかである。 「ちりぢりになる」の身体表現で触発された子どもたちの意欲は、「総合的な学習」の時間を活用して発展する。8人ずつ5つの班に分かれて、寸劇ふうに演じることになった。各班では、登場する役(あり、ウィルソン博士、ナレーター)を決め、蟻の触覚や白衣など簡単な衣裳を身につける。 子どもたちは話し合いながら表現を工夫する。ウィルソン博士をどうしてもやりたいという子が2人いた班では、本文では登場しない「助手」という役を登場させて、博士の説明を会話で表すなど、思わぬ創造が見られる。また、子どもたちの大人気はあり役である。動くおもしろさを感じているのだろうか。 このように、簡単にでも動いてみると「読み」の理解度が自分でもわかり、よりよく演じようとするために知識を得ようとし、力がついてくる。そして、それぞれの班の演技をお互いに見合うことによってさらに理解が深まっていくようだ。これは学年目標の「みんなでチャレンジ」の部分でねらう「共感する心を育てる」ことにもつながる。 ところで、担任の増田さんといえば、教師歴10年のこれまで演劇にはおよそ縁がなかった人だ。思い出しても、はるか昔に幼稚園で『大きなかぶ』のおばあさん役をやった記憶しかない。なぜおばあさんかというと、たまたま園で唯一めがねをかけていたからである。 それが、この年度に同学年の図工と音楽を担当する先輩同僚―演劇教育ですぐれた実績のある―の授業を見てハッとする。授業が、子どもがわくわくするような始まり方だったのだ。 絵具や筆の使い方の説明一つ一つに、子どもの気持ちが吸い寄せられていくようすを見て、わくわく感を掻き立てるような授業のエッセンスとして「表現」があると感じたのだ。せっかく一緒に組むチャンスがあるのだから、何か「表現」で学習を立ち上げようとあらためて心に期す。 そしてこの後の2学期、3学期と表現を使った学習が展開されてゆくわけだが、これは次回にお届けしよう。どうぞお楽しみに――――。 |
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(文・日本演劇教育連盟・市橋久生)2006/4/3
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