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「動く」ことで深まる理解〜横浜小学校〜 後編
横浜国立大学教育人間科学部附属横浜小学校。2005年度、3年1組の増田格人さんの学級(児童数40名)では、「総合的な学習」の時間を使って、学期それぞれに劇の要素を含んだ表現活動が展開された。1学期は国語の授業の中で、『ありの行列』(大滝哲也・文)の学習が、教科書を離れて「動く」授業に発展した様子を、前回(演劇タイムズvol.206)でお届けした。文中にある「ちりぢりになる」とう表現の理解を深めるために行った、身体表現から膨らんでいったものだった。今回は、2学期以降の増田学級の取り組みを紹介しよう。 2学期。音楽の授業で『パフ』という歌(詞と曲=Peter Yarrower、Lenny Lipton、訳詞=中山知子)が教材にある。怪獣を主人公にしたフォークソングふうの情感のこもった歌だ。子どもたちは、今度はこれを劇にしたいという。ペープサートにしたいという声もあがって、どちらにしようかと話し合う。それぞれの良さや上演する条件などを話し合って、今回はペープサートでやろうということに決まった。「総合的な学習」の時間に取り組むことになる。 4人ずつの10班に分かれ、5番まである歌詞のそれぞれの光景を表現する。向かい合わなければいけない人形を、左右逆につくってしまい、本番直前に集中が切れて投げ出してしまった子がいた。ほかの子どもたちが懸命に励ましながら、その子を立ち直らせて完成に漕ぎ着けたというようなこともあり、ここでも「ともに学びを創り上げる」という姿が見られたのではないかと増田さんは思っている。 そして3学期、「総合的な学習」の時間をめいっぱい使い、劇をやろうということになった。冬休みの課題に応えてストーリーを考えて脚本をつくってきた子が2人いた。一人は絵本をもとに、もう一人は自分のオリジナルで。学級の子どもたちはその2人の原稿をもとに、1つの脚本をつくろうということを話し合った。題は『コッちゃんと一本の変な木』(原作;梁淑玲作・宝迫典子訳『いすになった木』)。 花園にある、わがままで自分のことしか考えていないモミの木が、ある日、洪水にあってみんなが流されているのを見た。唯一仲良しだったリスのコッちゃんの「助けてあげて!」という一言で改心し、みんなを助けた。みんなもそれまで仲良くしていなかったのであらためて友だちになり、名前がなかったもみの木に「ツリート」という素敵な名前を付けてあげる。そんなストーリーである。 子どもたちは話の筋をおよそ決めてはいたが、どの役をやるか、どんな表現にするかはまったく決めないまま演じ始めた。 雨が降るようすをどうしよう…。洪水を表す役の子が、床を手でパシパシたたいて表してみたら、とても良かった。よし、これでいこう! 洪水に流されているようすはどうやって表そう…。洪水を表す子が丸く走るから、同じ方向に倒れれば水の流れも表せるよ。みんな同時に好き勝手なせりふを言っていては見ている人に伝わらないよ…。じゃあ、大事な言葉ははっきり、流れに関係ないせりふは小さい声や口パクで表そう。 そんな工夫をつなぎ合わせながら子どもたちは劇を「つくって」いった。圧巻だったのは、もみの木に助けてもらった動物たちが「ツリート」という名前を付ける場面を初めて演じた時。 「ありがとう、モミの木さん。」 「モミの木さんじゃ悪いよ、君には名前があるんじゃないの?」 「友だちがいないから、名前はないよ。」 「じゃあ、名前をみんなで付けてあげるよ。」 「何がいいかな…。そうだ、キッコロは?」 「キー坊がいいよ。」 「君はモミの木だしクリスマスが近いから、『ツリート』っていう名前はどうかな。」 「…それだ!いい名前だよ!それにしよう!」 「よかったね!ツリート」ぱちぱちぱち…。 このせりふは、台本を話し合った時に子どもたちが話し合ったやりとりそのままなのだ。大半の子どもが「キッコロ」「キー坊」にしようと考えていた時、ある子どもが「モミの木だから、クリスマスツリーの『ツリート』がいいな…」とぼそぼそと発言した。みんな一瞬沈黙した後、「それ、いいんじゃない?」「名前が決まった後、パーティーをしてあげることにしたら?」「よし、決まりだ!」パチパチパチ…。 だれかがぼそっとつぶやいた発言をみんなが認めたそのことを、みんながそうしようと言うでもなく、自然に劇の中で再現したのである。見ている部外者にはまったくわからないけれど、やっている子どもたちには既視感のようにその場面が思い浮かんだはずである。これこそ、子どもたちが学習を創り上げているということではなかろうか。 増田さん自身も、自分が住んでいる地域の公民館の催しで演劇講座に参加し、コミュニケーション・ゲームや表現のエクササイズなど、演技の基礎となるような体験をした。表現を楽しめるようになってほしいと、教室の子どもたちにもそれを伝えた。ある日、1から10までの数を他の人と重ならないように声に出すというゲーム「カウントアップ」をやってみた。10までのカウントアップが成功した時のことを、ある子どもは後に感想でこう記した。「そのときはっと気がついた。10まで数えるゲームも、劇も、お互いを感じなければできないんだ」と。 増田さんは、この1年間の授業を通して、演劇に教育的な意義・確かな手応えを感じている。 |
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(文・日本演劇教育連盟・市橋久生)2006/5/1
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