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ふるさと−生き方−共生をテーマに創作劇〜山梨県南アルプス市立櫛形中学校
山梨県南アルプス市立櫛形中学校は全校生徒数およそ650名の学校である。2003年度、3年生は「総合的な学習」の時間の年間テーマを「共生」と決め、卒業式を最後の授業と位置づけて、学習を進めてきた。 4〜6月は「ふるさと」について学ぶ。7〜9月は「生き方」を考える授業で、ゲスト講師も迎えて講話とワークショップで進める。 そして10〜12月に「共生A」の学びとなる。ここでは学級の枠を取り払い、一人一人の興味・関心を引き出したり伸ばしたりできるよう、ゼミ方式を採る。生徒たちは、課題研究または表現活動の合わせて11設けられたゼミのどれかに参加した。 課題研究は、1)環境1(エネルギー問題)、2)環境2(桧の効用)、3)福祉、4)平和、5)命、6)スポーツと生き方。表現活動は、自分を開放する、想像力を鍛える、他者を生きる、仲間とともに一つのものを創る、自分を表現する、というねらいのもとに、7)生活の文化、8)イラスト、9)オペレッタ、10)演劇、11)木工制作。 ここまで進んできて3学期の「共生B」につなげる。卒業式第2部として、義務教育9年間の学びと成長の証を発表、将来に向かって生き方を宣言するという中学生活最後の舞台に向けての授業である。 ところで、昨今の「学力低下論」に押されるように、「総合的な学習」の時間は旗色が悪い。文部科学省は学習指導要領の次期改訂で、現在小・中学校週3時間のこの時間を減らす方向で検討しているという。なかでも、中学校での評判が良くない。担任の6割が 「なくした方がよい」と回答しているという(朝日新聞9月3日など)。 しかし、これまでこの連載で紹介している学校のように、積極的にこの時間を活かし、子どもたちの学びの意欲や創造の楽しみ・喜びを触発している例も、全国に数限りなくあるに違いない。 櫛形中学校の場合も、明確な目標を掲げ、緻密な計画を立て、指導に工夫をこらし、教職員の理解を共通にしながら、授業を進めていることがわかる。 それは、「広い領域の中から選択ができ、できるだけひとりひとりに応じた学習ができるように」「学んだことを他者に向かって語りかける、話しかける、働きかけることを取り入れた学習」としてゼミ方式で進める授業である。 この方式の「総合的な学習」の時間は、教師が自分の専門性や得意な分野を活かすことができるという利点もある。演劇に取り組んだ国語科教員の望月理子さんは、演劇や表現についての研修を積んできた。そして学校では、地元で「舞踊資源研究所」を主宰する舞踏家の田中泯さんを招いて体験講座を開いたり、「選択国語」の授業で朗読や劇に取り組むなど、表現の意義や楽しさを生徒たちにいっぱい体験させ、味わわせててやりたいと考えている。 さて、この年も1学期の「生き方」を考える授業では劇作家の水木亮さんのワークショップ(声を届けるレッスン)を行った。そうして「共生A」のゼミとして創作劇に取り組んだのである。 創作劇『せとじゅうさん伝説』は、4月から展開してきた「ふるさと」「生き方」の学びを発展・深化させ、「共生」をテーマに創った劇である。 − 地元に「瀬戸地蔵」と呼ばれるお地蔵さんがある。昭和の初め、瀬戸重さんという不思議な男がいた。村に葬式があると、お坊さんでもないのにそこここに現れてはお経をりっぱに唱える。読経がすむと台所に行って、頭陀袋から茶碗と箸と弁当箱を取り出し、食を乞う。着たきり雀に頭陀袋の瀬戸重さんは、時に子どもたちにからかわれながらも、みなし児におにぎりをやるなど、どこか親しみや人懐こさを感じさせるのだ。 かつての村にはどこにでも瀬戸重さんのような人はいたのではないだろうか。どこに住んでいるのか定かでないような、なのに農家や町の商店に出没しては仕事を手伝い、どうやらそれで口を凌いでいるような。世間の常識や体裁を超越した存在。しかし決して排除されることなく共同体のなかに確かに生きている。 「ふるさと−生き方−共生」と筋の通った総合学習である。3年生の担任たちは、共生をテーマにしたことについて次のような意味づけを行っている。 − ひとりひとりが個として自立し、しかも人(他者)と共に生きるという思想。異質な他者との出会いを通して、自分の世界を広げ、解決困難な諸問題をみんなで共に考えていこうとする気持ち、他者と連帯するために積極的に自分を表現したり、情報を発信しようとする意欲等を育てるため……。 この創作劇の体験は、自分とは異質と思えるような他者の存在について、からだで表現した分、道徳や心がけ以上に理解し納得できる可能性をもっている。そして、劇の上演など各ゼミの学びを学年発表会でみんなに見て(聞いて)もらったことは生徒の自信になり、鑑賞した生徒たちを刺激し、それが卒業式第2部の豊かな表現(合唱や群読)を生んだのだと、教師たちは見ている。 教科の枠を取り外し、頭と体を縦横に展開させて行う総合学習。知的好奇心をみなぎらせ、いきいきと学習に臨む姿が目に浮かぶようである。 |
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(文・日本演劇教育連盟・市橋久生)2006/10/2
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