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演劇鑑賞教室があぶない! 地域編

来年度から、全国の学校で完全週休2日制が導入される。一方、これまでの授業のボ リュームは変更なし。そのため、子供たちの毎日の時間割は、今以上に授業がキュウ キュウに詰め込まれてしまう。こうした事情から、運動会を中止する学校も登場。
「演劇鑑賞教室なんかのイレギュラーな行事を組み込む時間はない」という校長・教 頭も多い。子供たちにとっては、演劇などの舞台芸術に出会う機会が減ることにな る。子供たちは、文化などをどのように身につけ、学習すべきなのだろうか?まず期 待されるのは、家庭である。

しかし、子供たちの親となる世代も、演劇などの舞台芸術に対する関心は哀しくなる ほど低い。ある団体が演劇公演を主催し、招待券をばら撒いても、劇場に足を運ぶの はその1割前後ということも珍しくない。芸術文化に対する意識は、刻一刻と薄れて いるようだ。

社会が芸術を理解し、文化を身につけることは、直接的な経済効果にはつながらない かもしれない。しかし、こうした考えは短絡的である。長い時間をかけて、新たなも のが生まれ、人々の毎日が活性化されることは、目に見えないが大きな効果である。 芸術文化は、その土壌の1つとして存在している。そして、ずっと水をやり続けるべ き植物のようなものである。

芸術を理解し育むということに対し、国も家庭も消極的であるとなれば、次に期待す るのは、地域である。

「子ども達にこそ質の高い演劇を」と児童青少年演劇に力を注いでいる劇団「仲間」 は、東京・東久留米市の協力とともに、市内の学校で巡回公演を行っている。東久留 米市の演劇鑑賞教室実行委員会は熱心で、関係者は毎年の夏休みに、子供たちに優れ た文化を提供するために数多くの舞台を鑑賞し、招待するカンパニーと作品を選考し ている。また、江戸川区や大田区も、各学校がどこのどんな作品を鑑賞したか、子供 たちはどのような感想をもったかをリストにして、活発な情報交換を行っている。当 然ながら、こうした地域では、鑑賞教室を「やめよう」という声はあまり聞かれな い。

一方、新宿区では区民センターに各学校の5年生だけを集める形を使って、演劇鑑賞 教室をなんとか維持している。こうした1学年限定というシステムは、音楽鑑賞教室 でしばしば適用される。演劇もこの形にすべきだという声に応えた結果なのかもしれ ない。が、子供たちにとっては、6年間に1度しか演劇に触れる機会がない。しつこ く繰り返すが、小学校6年間で、たった1度だけ演劇を観る。あまりにも少なすぎや しないだろうか?

とはいえ、演劇鑑賞教室が完全に廃止された地域は多い。そう考えれば、6年間に1 度という新宿区はまだ良いほうなのかもしれない。しかし、このように、地域間に芸 術文化に対する施策や考え方などに、大きなギャップがうまれはじめている。

去年流行した言葉に、「デジタルデバイド(情報格差)」というものがある。めまぐ るしく進歩するIT技術を積極的に取り入れる人と、そのスピードについてゆけない 人の間に、情報、知識、意識においての大きな溝ができてしまうという現象だ。最初 は「いやぁ、パソコンなんて難しくって、ホント、面倒だわ〜」と言っているだけだ が、それが数年続くと、根本的な社会意識までに大きな壁ができてしまう。

各地域の芸術文化に対するギャップも、いわば「カルチャーデバイド(文化格差)」 につながるのではないだろうか?芸術に対する意識の格差に気づかずに、今後何年も の間放っておいては、地域ごとの子供たちの間に、埋めることのできない溝が生まれ てきてしまうのではないだろうか?それは、恐怖である。

全国に散らばる演劇鑑賞教室を活性化してゆこうと活動している個人、団体、自治体 は多い。しかし、それぞれが非力なままで独立し、散らばっている。それぞれの地域 が競い合うようにして本当に良質の舞台を招き、演劇鑑賞教室を行えれば、きっと数 年後、数十年後に、日本は芸術文化の国となるかもしれない。が、それは今の段階で は絵空事に過ぎない。むしろ、全国のそれぞれの地域に散らばる小さな声を拾い集 め、大きな声として社会に投げかけることこそが、今、最も大切なのかもしれない。

(文・O)2001/11/19   





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