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地域が支えるこども演劇.1・兵庫県立こどもの館

公共ホールで行なわれるこどもに向けた演劇は、普段演劇に触れる機会のない こどもたちに、どのような影響を与えているのだろうか。今回から数回に分けて、 公共ホールとこども達とのかかわり方について見ていきたい。

まず、第1回目は「兵庫県立こどもの館」である。

ここは、昨年12月19日、くも膜下出血で亡くなった劇作家・演出家の如月小春氏 の業績と情熱が詰まった地である。

こどもの館では、毎年4月から2ヶ月間、中高生を対象に「こどもの館劇団」の役者 を募集し、6月に顔合わせをした後、1ヶ月で如月氏が台本を書き上げ、そして、 8月の夏休みを利用して稽古をし、夏の終わりに一般にむけて公演をしている。また それに先立って、7月には、学校の先生や一般社会人を対象に「指導者養成講座」も 開かれ、数年後の演劇指導者の育成を目指している。

1990年、如月氏と館の設計者・安藤忠雄氏、初代館長である貝原俊民氏によって 計画され、91年から5ヵ年計画としてスタートした。あれから10年。兵庫県には 大きな2つの事件が起きた。

95年の阪神大震災と97年の神戸児童殺傷事件である。前者では街は崩壊し、後者 では、こどもの館劇団の対象となる中高生達に、大きな心の傷をもたらした。これら の出来事を目の前にして、如月氏は「この夏は、芝居は無理だろうか…」とため息を ついていたという。しかし、そんな如月氏を突き動かしたのは、こどもたちの声だっ た。

「こんな時だから芝居がしたいよ!」「芝居を通して、人間はひとりで生きていくん じゃない、と分かった。ますます、演劇が好きになった」

広い地域の異年齢の人々と芝居を創っていく中で、こどもたちは確実に成長をしてい た。芝居を通して現実を受け止め、他人との共同作業の中で、「楽しい」の先にある 「感動」を発見していたのだ。

また、変わったのはこどもだけではなかった。

当初、5ヵ年計画だったこのプロジェクトだが、1つの区切りを迎える頃、プロ ジェクトの誕生当時からいた職員は、全員異動でいなくなり、また、主催者である館 のスタッフも、財政面だけの管理になりつつあった。ちょうど、震災での市財政の逼 迫もあり、如月氏は、ここで幕を引くつもりだったという。しかし、ここでもこども たちの熱い言葉に、如月氏だけでなく、館のスタッフも心を打たれた。

「ここは、自分達にとってのサンクチュアリだ!」

この言葉に動かされた関係者は、将来の人材が育つようなノウハウを蓄積し、地域で こどもたちが演劇をする場を育てるということを目的とした「指導者育成講座」をス タートさせた。
学校の先生や、館のスタッフ、一般社会人等など、地域と行政を巻き込んだ長期的な 計画である。

2001年、夏――――。
如月氏は、もうこの世にいなかった。
しかし、こどもの館劇団は、今年も公演を成功させた。

「もっと地域に演劇を!こども達に演劇を!」

如月氏の志は、確実に受け継がれている。
(文・O)2001/12/17   





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