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永久保存版シアターエデュケーション
          〜演劇教育ヒストリーvol.3〜


「永久保存版シアターエデュケーション」と題して演劇教育の歴史を紐解いてゆくこのシリーズ。最終回の今日は、1977年に「ゆとりの時間」を含んで改定された小中学校指導要領や、アングラを観て育った新しい世代の教師たちの演劇教育運動への参加などの「追い風」を受けて突入した「演劇教育のバブル期」80年代から振り返ってゆきたい。


▼演劇と教育のバブル期・80年代

社会経済がふくれ上がり世の中全体が「バブル期」と呼ばれた80年代。演劇や演劇教育も、その余波を受けるように、バブルな時期へと突入してゆく。日本演劇教育連盟の夏の大会、全国演劇教育研究集会(以後・全劇研)の参加者数は、70年代末から急増し、80年代は毎年1000〜1500人を集めるようになった。

研究会の講座は従来から、
●子どもの劇(人形劇)をどう指導するか
●学級・学校生活のなかに、どう劇活動(表現活動)の場を創り、育てるか
●教師自身が専門家から演劇を体験的に学び、自らの教育実践を豊かにしよう
という趣旨で構成されていたが、この時期、参加者の増加にともなって、参加者の関心も多様化し、それに応えるように、民舞・和太鼓、朗読・群読、現代舞踊、マイム等々、さまざまな講座が新設されていった。

80年代、好況のバブルの波は演劇教育よりも、一般演劇に大きな環境の変化として訪れた。一つは、公共ホールが続々と建設され、地域の劇場が急速に増えたこと。そして企業もメセナとして、余った資金を文化につぎ込んで行ったこと。音楽や美術に比べ、行政や企業からの支援を期待しにくかった演劇にも、支援・出資する企業が現れた。小劇場に出資する企業も現れた。今まで企業からの出資を受けることは創作活動を狭めるとして否定していた演劇団体も、文化に対して行政や企業が支援することは当然のことだという考えが育ってゆく。

演劇が政治的、思想的に先鋭なものだという一般の認識が薄れ、エンタテイメントとしてうけいれられはじめた時期だったといえよう。


▼一般に浸透する演劇

90年に入って、演劇は今までにない盛り上がりを見せ始める。ちょうどこの頃、戦後に出来た市や町の「市政○○周年」などのイベントが多く、その際に「祭り」として扱いやすい市民演劇や市民オペラなどが流行った。新設された公共ホールを舞台に、“演劇人が指導し、一般の市民参加で”、という舞台が数多く上演された。

70年代の、うさん臭く「アングラ」と呼ばれた世代の劇作家・演出家たちが、公共ホールの芸術監督や、大学に新設された演劇科の講師・教授に就任することも珍しいことではなくなってきた。80年代の小劇場演劇の俳優、劇作家たちが大劇場や映画、テレビに「進出」することは、もっとあたりまえのことになった。

こうした流れのなかで、「演劇を体験してみたい」、ということも、かつてのように特別なことではなくなってきた。平田オリザ氏に代表されるように、一般の人に向けた演劇ワークショップを演劇人が指導するケースが90年代に増えてゆく。公共ホールや財団が企画する演劇のワークショップは各地で試みられている。演劇を学ぶことが、美術や音楽など他の芸術を学ぶことと同様に普通のことになってきた。演劇の持つ“開放感”や“コミュニケーション能力、表現力を向上させる力”が認められるようになってきたと言えそうである。

しかし、こうした世の中の演劇に対する関心の高まりが、学校教育のなかでの演劇教育を盛んにするかというと、そうはなっていない。例えば日本演劇教育連盟の夏の大会、全劇研は90年代を通して参加者が減り、400〜500人規模にまで縮小されていった。

これにはいろいろな理由が考えられるが、各地で演劇ワークショップが行われるようになり、わざわざこの大会に参加しなくても体験できるようになったことも、一つの要因ではないだろうか。

「演劇教育全体として見れば、いい方向に向かっていると思いますよ」と水野氏も語っている通り、演劇が社会に認知されていった時代なのだ。


▼繰り返される問題

演劇を学校教育の中に取り入れようという長い長い運動は、ここにきてまたひとつの変革期をむかえている。2002年の教育指導要領改正に伴い、新設された「総合的な学習の時間」に演劇を取り入れようという論議が、演劇関係者や教育関係者の中で活発になりつつある。

しかし、ここに大きな問題が出てくる。“誰”が“どのように”指導するのか、ということだ。

1950年代に「教科にない中で、演劇教育をどうシステム化してゆくか」、「教育の中で、どう位置づけるか」という議論の中から、教育者が演劇の専門家からスタニスラフスキー・システムを学ぶ動きがあった。今、同じような問題に突き当たり、システム化すべきではないかという動きが、再度出てきているのだ。

ここで、「50年前から進歩していないのか?」という疑問が出てくるかもしれない。しかし、一概にそうとは言えない。40数年前、先人たちがスタニスラフスキー・システムから「エチュード方式」や「ことばとからだ」など、いろいろな模索をしながら、活動を続けていた頃は、学芸会などを除けば、普通の人が演劇に触れることはあまりに「特別なこと」であり、学校教育には受け入れられづらい状況にいた。また、子どもの表現力、コミュニケーションの力をのばすということ自体、子どもの成長に欠かせない課題とは認識されていなかったと言ってよい。

しかし、現在は、共同で何かを表現することや、他人と確かなコミュニケーションができることの大切さを認識する人は確実に増えている。そして、演劇がそうしたことに関わるものだという認識も広がっている。総合的な学習の時間の中でうたっている「生きる力を育てる」という項目にもマッチし、時代のニーズにも十分に応えうる点で、50年前の議論からは一歩進んだところにきているのだ。


▼これからの課題

今は表現方法が多様化し、小劇場から新劇、ミュージカルと、ジャンルは多岐に渡り、演劇のスタンダードと呼べるものがない。演劇を学ぶ基礎は何なのか?40数年前スタニスラフスキー・システムに求めようとした演劇の基礎を、表現のスタイルが多様化した今、どこに求めればよいのだろうか。

学力低下の懸念や、授業時間不足などから、学校教育の中に演劇を導入するのは難しいという声もある。しかし、心の教育を重視し、その一つの方法としての演劇を求める声も多い。この2つの矛盾する問題をリンクさせ、学校教育の中に取り入れやすいシステムを作り出すことが、演劇教育界の中では、急務になっているのではないだろうか。


▼Just Now!

80年代に起こった小劇場ブームの第一線で活躍した演劇人たちも、今は40歳を越え、次の世代をどう育ててゆくかということを考えはじめる時期にきている。演劇教育は、次世代の俳優育成にも大きく関わる問題として、演劇界からも今後さらに注目されてゆくに違いない。

心を大切に育てたい教育界と、演劇の魅力を伝え、次世代の演劇人を育てたい演劇界、大人も含めて、コミュニケーションや他人と関わる力を高めてゆくべきだという社会的風潮、さまざまな追い風の中、演劇教育は確実に次のステップに進んでゆくはずである。

水野氏は語る。
「総合的な学習の時間が始まった今、演劇教育が学校の中に広がるために、さまざまなモデルを示すことが必要な時期にきています。演劇に対する関心が高まっている今がチャンスなんですよ。演劇教育を考えてきた人、専門の演劇人、児童・青少年演劇に関わる人、地域の演劇指導者……横の連携を深めて、演劇教育のさまざまなモデルを示し、指導者を育ててゆく大切な時期にきているんです。歴史に学びながら、時代の感覚にあったものを作り出してゆかなければ。まさに今なんですよ」

3回に渡ってお届けしてきた「永久保存版シアターエデュケーション〜演劇教育ヒストリー〜」。いかがだったでしょうか。

近年、改めて注目され始めている“演劇教育”というジャンル。現在に至るまでに大勢の人々によって試行錯誤が重ねられ、今、新たなムーブメントが起きようとしています。このコラムが、演劇、教育に少しでも携わっている方々にとって、未来に向けてアクションを起こしていくための小さなきっかけになれればいいなと思っています!



(文・企画・取材協力 晩成書房代表 水野久氏/ 文・O)2002.9.2